第十章「水賊」20


 水賊のアジトの崩壊に巻き込まれながらも、辛うじて一命を取り留めたあたしたちは、遅れて駆けつけた騎士の人たちに助け出され、目を回して気を失っている内にアマノの街にまで運ばれてしまっていた。
 本当なら山を挟んで反対側にあるコーヤの街に連れて行ってもらえていればありがたかった。船に乗ったのも山越えを避けてコーヤの街に行くのが目的だったのだし。……もっとも、山賊・水賊の討伐隊が拠点としているのがアマノの街の方だったのだし、助けてもらえただけでよしとしよう。
 が………なぜかあたしは宿屋に軟禁されており、もう五日も重苦しい時間を過ごしていた。
「はうぅ〜……どうしてあたしがこんな目にぃ〜……」
 以前にも泊まっていた宿屋の一階部分である酒場兼食堂は、朝食時もすっかり過ぎたこともあり、テーブルについている客はあたしを除くと二人しかいない。一番隅っこのテーブルに向かい合っているあっちの二人とはあまり顔をあわせたくなく、反対の方へと顔を向けて机に突っ伏したあたしは、胸の奥から長く重たい息を吐き出した。
 あっちで座っている二人は鎧こそ脱いでいるものの、帯剣している騎士だ。一日中宿屋ですごさなければならないあたしを、交代でああして見張っているのだ。
 宿代は出してもらっているものの、自然と陰鬱な気分も溜まっていく。慣れていない街だし、外へ繰り出せば多少は気晴らしにもなるだろけれど、一歩でも宿屋の外へ出ようものなら、たちどころにあたしの前へ立ちふさがり、丁寧な物腰で強引に押し返すのだ。
 おかげで行ける場所と言えば、自分の部屋か今いる食堂、後は宿屋の裏にある小さな薪割りスペースぐらいしかない。部屋にこもる以外は常に二人以上の監視がつき、部屋にこもれば、ドアの前に騎士が立って室内の物音に聞き耳を立てる。プライベートも何もない環境に、物音一つ立てるのにも気を使うような状況だった。
 そして一番イヤなのが、時々あたしの元へやってくる取調官だ。
 例え食事中だろうとお風呂に入っていようと眠っていようとお構いなし。その人が来たらあたしは無理やりにでも呼び出され、水賊に囚われた経緯や事の顛末をあたしの口から何時間にもわたって繰り返し説明させられる。わずかでも前に話した内容と食い違いがあれば、まるであたしが犯罪者であるかのようにネチネチと言葉の暴力で精神的に追い詰められ、最後には「何かを隠したのではないか?」「何かを見たのではないか?」と言うニュアンスの言葉を必ず織り込んでくる。
 ―――あたしが“山賊の財宝”をどこかに隠していたんじゃないかと、まだ思ってるわけだ……本当に何も知らないのにぃ……
 そして真夜中に始まった取調べが終わったのも夜が明けて建物の外で人々が動き出してから。ようやく休めるようになったものの、眠るには遅すぎる時間であり……もう話す事は全部話したのに「昼前にまた来る」とのお言葉を言い残されている。昼前までもう何時間も残されていない上に、こんなにもささくれ立った気分でぐっすり眠れるはずがない。
 できれば逃走したいところではあるけれど、下手に逃走しようとしたら無実の罪を着せられて投獄され、本格的に尋問でも受けさせられかねない雰囲気だ。言葉や態度の裏に隠れているのは、あたしへ向けられた明確すぎるほどの“疑い”であり、それが完全に晴れるまでは宿屋の中で取調べの時間をジッと待つことしかできないわけで……
「シクシクシク……あたしは何にも悪くないのにぃ……」
 と、愚痴もグチグチ言っちゃうぐらいに気が滅入ってしまっていた。
 このままだと気分が重たくなりすぎて、このまま机に顔や身体が沈み込んでいってしまうんじゃなかろうか……そんなくだらない事を考え始めたとき、横を向いていた顔の前に、パンとスープとソーセージ、その他サラダや味付けフライドポテトなどの数々の朝食メニューの乗せられたお盆が置かれた。
「先輩、きっともうすぐ無実だって分かってもらえるはずだから元気出してください。これ、女将さんからのサービスだそうです」
 眠気よりも食い気。長時間の取調べで疲れ果てた身体は朝食のおいしそうな匂いにつられてフラフラと起き上がる。そしておもむろに塩と酢で味付けされたポテトを鷲掴みにして口いっぱいに頬張ると、ムシャムシャよく噛んでゴクッと飲み込み、それからようやくエプロン姿の綾乃ちゃんが苦笑いを浮かべてテーブルの横に立っている事に気がついた。
「………綾乃ちゃん、おは」
「おはようございます。でも先輩、十分に眠ってないんでしょ? これからお休みになるのなら、ベッドメイクしてきますよ?」
 あたしが軟禁されて外出もままならないのに対し、綾乃ちゃんは監視付きではあるものの外出も認められていた。一応、軟禁されてる間に宿代は騎士団持ちだけど、それでは時間が勿体無いからと、食堂のウエイトレスとしてアルバイトに精を出しているのだ。
 まあ、それはいいとして、
「いいや……部屋にいると聞き耳立てられえるようでぐっすり眠れないし……」
 横目で見張りの騎士二人を恨みがましくねめつけると、そそくさと視線をそらされる。
「……それは別としても、今はあんまり部屋にいたくないし……」
 要は帰れる場所がないから、こうして食堂で愚痴ってるかモグモグ口を動かしてるしかないのだ。
 テーブルに山と置かれた朝食を片っ端から胃の中に収めて行くあたしを見ながら、綾乃ちゃんがアゴに指を当てて少し考える。きっとあたしの言った意味を考えているのだろう……そしてその答えには短時間で思い至ったようだ。
「舞子ちゃんのことですか?」
「ははは……あたり」
 差し出されたミルクを一気に飲み干して一息つくと、こめかみを掻きながらテーブルに肘をつく。
「舞子ちゃんは今回の被害者なんだし、すぐに開放されると思ってたんだけど、まだ街から出ていいって許可が下りてないでしょ? あたしと違って先を急ぐ旅みたいだったし、何日も足止めを食らってるせいか、全然口も聞いてくれなくてさ……部屋からも出てきてくれないし、かと言って隣りにいるかと思うと気になってぐっすり眠れないし……」
「う〜ん……でも、毎日部屋までお食事を届けてますけど、そんなに落ち込んでるようには見えませんでしたよ」
 あたしが「そうなの?」と聞き返すと、綾乃ちゃんは顔を縦に振る。
 もしそうなら、今日の昼食は……取調べの時間っぽいので、夕食をあたしが運んでみよう。今回の事件に巻き込んでしまった事を改めて謝りたいし。
「それにしても先輩、どうして毎日あんなに聞き取り調査を受けてるんですか?」
 聞き取りなんて甘いものじゃないんだけれど、密室で取調官と顔を突き合わせているから綾乃ちゃんは会話の内容を知らないのだろう。あたしも説明した覚えがないし。
「それは―――」
 と、後を引く絶妙の塩加減のフライドポテトを一本つまみ上げて説明しようとすると、後ろから伸びてきた手があたしの指からポテトを奪いさる。
「たくや君が山賊から財宝を奪ったとまだ思われちゃってるからなんですよ」
「あれ、恵子さん。今お帰りですか?」
 背後にいつの間にか恵子さんがいたんだけれど、水賊のアジトの調査へ向かう騎士団に美里さんと一緒に駆り出されたのは昨日の早朝だ。丸一日以上経ってからの帰宅に、さすがに疲れた表情を浮かべて同じテーブルの席に腰を下ろした
「綾乃ちゃん、私にもたくや君とおんなじの〜」
「は…はい……」
 注文を受けた綾乃ちゃんは、まるで逃げるように厨房へと戻っていくけれど……あたしの目の前にある皿、二人前か三人前はありますよ? 寝ぼけてたあたしと違って、ちゃんと量を見てから頼みましたよね?
 疲れてる時に食べるのは、まあ人間の摂理と言うものか。もっとも、あたしは体重を気にしてないからたくさん食べてもいいんだけど、恵子さんは気にしてないんだろうか?
 気にしていると言えば、綾乃ちゃんの態度もどうもおかしい。あたしと話す時と違って、美里さんや恵子さんを前にすると、蛇に睨まれた蛙のように身体を緊張させ、そそくさと隠れたり逃げたりするのだ。綾乃ちゃんが少し人見知りする性格とは言え、そこまであからさまに怯えの感情を見せはしないと思うんだけど……
「恵子さん……もしかして綾乃ちゃんに、何かしました?」
 あたしの皿からポテトをヒョイヒョイと摘んでは口へ運ぶ恵子さんにそれとなく尋ねてみる。すると、
「何かって何? 私とお姉様は濡れて冷たくなってた綾乃さんを助けてあげただけですよ―――それも肌と肌を重ねあって温めてあげたんです」
「は、肌と肌!?」
 ―――まさか……綾乃ちゃんは既に二人の毒牙にかかっていた!?
「その時にちょっぴり味見しちゃいましたけど……」
「あ、味見!? 舐めたの!? 綾乃ちゃんを舐めちゃったの!?」
「ふふふ、そこはご想像にお任せします。でもあの時の綾乃ちゃんたら、私とお姉様の間にいるのに、たくや君の名前を―――」
 二人掛かりで……それはあたしにとっても未知の領域。行く先々で年上のお姉さんに弄ばれてしまう綾乃ちゃんの新たなる歴史に拳を握って耳を傾けていると、厨房から大きな声が飛んできた。
「こらそこ、うちの店で朝っぱらからシモネタ話してんじゃないよ!」
 女将さんの声に肩をすくめる。きっと厨房で綾乃ちゃんが顔を真っ赤にしてうろたえでもしたのだろう。
「この話題を続けてたら、恵子さんの朝食が出てこないどころか、昼御飯も晩御飯も出なくなりそうですね……で、美里さんはどうしたんです? 一緒だったんでしょ?」
「お姉様なら食堂にたくや君がいたから自分の部屋に戻ってっちゃいました。複雑なんですよね〜、実力じゃ圧倒してたのに最後に逆転されて、しかも最後はスライムでアレでしょ? 怒りたいんだけど恥ずかしさもあって、だけどあの体験をもう一度って心の中では思ってて……ハァ〜…そう言うところがお姉様って可愛いんですよねぇ〜♪」
 ―――あたしはそう言う恵子さんがちょっと恐い……
「あ、そ〜だ。実はたくや君に見て欲しいものがあるんですよ」
 恵子さんは妙にニコニコしながら布袋をローブの内側から取り出した。
 大きさは両手の平に乗る程度。大きくもなく小さくもなくと言ったところだけれど、さっきからもぞもぞ動いてるのが、妙に気になる……嫌な予感がするな。
「瓦礫の下で見つけたんですよ。ほら、可愛いでしょ♪」
「ブッ!」
 幸い口の中は空っぽだったので、噴き出しても飛び散ったのは唾だけだ……それはまあいい。問題は袋の中から転がり出たもののほうだ。
 明るいところで目にするのは初めてだけれど、ブヨブヨとした外見はまず間違いなく、地下牢に捕らえられていた舞子ちゃんに纏わりついていた不気味な肉塊だった。あの時は舞子ちゃんを助けるのに夢中だったり、縦穴をまッ逆さまに落ちている真っ最中だったりと、じっくり見る機会はなかったけれど、よくよく見てみれば、細く小さいながらも触手を持っていたり、もぞもぞ身体を伸縮させて動く様子などから佐野の魔蟲(バグ)であろう事はすぐに察しがついた。
「私、この子を飼いたいんだけど、躾け方を教えてくれないかな?」
「ブッ!」
 ―――ちょ、ちょっと待った。魔蟲を“飼う”? しかもこんなに可愛らしくないものを? ど、どう言う趣味してんのよ、この人……
「ほらほら、この子の裏側ってイボイボだらけなんですよ。これを怯えるお姉様の肌へ這い回らせたら……あ、その前に自分で試しちゃうかも。考えただけでもゾクゾクしてきちゃいそう……♪」
 チラッと横を見ると、見張りの騎士さん二人は恵子さんの話を聞きながら股間を抑えて机に突っ伏していた。……まあ、同乗しちゃうのは仕方がないか。恵子さんや美里さんのような美人とモンスターの組み合わせなのだ。股間が張っちゃうのは避けようもない男性の生理現象だ。
 恵子さんはそんな周囲の様子を気にする事もなく、少し赤く染まった顔にうっとりとした表情を浮かべている。
「あの……恵子さんて魔蟲を操れちゃったりします? じゃないとこの子は懐かないと思うんですけど……」
「モンスター使いって、魔蟲使いと関係があるんですか?」
「そうじゃなくてですね、これは佐野って言う魔道師が造った魔蟲だから、他の人に放つかないだろうし、あたしにだって―――」
 目の前にこんなにも不気味なものを置かれては食も進まない。ともかく恵子さんに説明して捨ててもらおうと思うい、ツンツンと指で突付いてみせると、魔蟲はガバッと身体を起こし、あたしの手にピトッと身体を貼り付けてきた。
「―――――――――ッッッ!!!」
「あ、すぐに懐いた」
「じゃ、なくて、早くこれ取って、取ってェ〜〜〜!!!」
 粘液に覆われた魔蟲の腹側の感触と来たら、背筋にぞぞぞっと芋虫が大行進で這いずり回るような怖気のする感触だった。イボのような無数の足が指から手首までに一斉に這いずり回り、そのくすぐったさとおぞましさで全身に鳥肌が立ってしまう。
「取ってあげたらモンスターの捕まえ方を教えてくれる? じゃなきゃ取りませんよ?」
「あ、あれはあたしにしか無理だから、だから、イヤー! ヤァアアアアアアッ!!!」
 ―――ば、魔蟲が這い上がってきた。腕に、肘に……ダメェ! そ、それ以上這い上がってきたら、も、もう、イヤァアアアアアアアアアアアアアァ!!!
 頭の中でプッツンと音を立てて理性の糸が一本切れ、あたしは混乱したまま真上に魔封玉を放り投げていた。
「た、助けてぇ〜〜〜〜〜〜!!!」
 魔封玉が弾け、現れたのは肩乗りサイズのスライムのジェルだ。落ちてきたジェルはあたしの腕を這い上がろうとしてきた魔蟲の上に落ち、そのまま透明なボディーで包み込んで床へと落ちる。………が、
「な……なんか意気投合?」
 そのまま溶かして食べてしまうのかと思っていたら、ジェルは床の上で魔蟲を吐き出し、お互いのフルフル震える身体を擦り付けあって、再会を祝うかのように喜び始めた。
「………あ、そういえば」
「たくや君、どうかしたの?」
「どうかって言うのもあれだけど……モンスターが懐く理由って一つしか考えられないから。水賊のアジトで縦穴に落っことされたときに、もうこれでもかってぐらいにあたしの魔力を注ぎこんだから」
 魔力を吸って膨らむ魔蟲を限界以上に膨らませ、縦穴につっかえさせた事を恵子さんに話す。
 あたしが受けた取調べの調書を恵子さんや美里さんも見ているらしく、「なるほど」の一言であっさり事情は飲み込んでくれる。―――と言う事は、あたしの性別が変わった事も知っているわけだ。取調官もその辺りの事を詳しく聞きだそうとしてきていたし、あたしへの呼び方も「たくやちゃん」から「たくや君」に変わってるし。
「―――つまり、たくや君がモンスターを自在に操れるのも、自分の魔力を分け与えてるから……って事になるんだね。ふ〜ん、面白い固有スキルね。魔法ギルドでもそんなの聞いた事もないもの」
「恵子さん、魔法ギルドにいたんですか!?」
 魔法ギルドと言うのは、冒険者ギルドとはちょっと毛色が違う。簡単に説明すれば魔法の素養のある者のみが入る事の許されるエリート学校であると同時に研究所でもある、と言うところだろうか。主に魔法やマジックアイテムの研究が行われていて、そのために才能のある人間が必要とされ、才能のある人間の育成にも力を入れているのだ。魔法使いの間でも魔法ギルドにいたと言うのは魔法の技量を示す一種のステータスにもなっているほどなのだ。
「美里お姉様も一緒だったんですよ。でもお姉様って実践派だったから、魔法の使用を制限されてるギルド内では居心地が悪かったらしくって」
「ああ、それはなんとなく」
「だからギルドの許可を得て冒険者になって、私もそれについて言っちゃったんです。お姉様のいないギルドって味気なさそうだったし♪」
 ………それもなんとなく分かる。この二人の関係って……まあ、アレもコレもって感じだし。
「ねぇねぇ、せっかくだから、モンスターとの契約のやり方、見せてくれないかな」
 あたしが美里さんと恵子さんの夜中の関係に思いを馳せていると、恵子さんが大きな胸を強調するように身を乗り出してくる。―――あたしとしては別に見せても構わないんだけど、
「えっと……」
 視線が見張りの騎士たちへと向いてしまう。
 こうやって恵子さんと話をしているけれど、その内容に聞き耳を立てていることだろう。監視の目と耳の光るこの場所で、仮にも“魔王”の力の一部でもあるモンスターとの契約を見せるのは、あまり気乗りがしない。
「………スリープ・ミスト」
 と、不意に見張りの騎士たちの顔の周辺に白い靄が掛かる。首を振り返らせると、恵子さんがこっそり杖を手にしており、大きなメガネをかけた顔に悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
「あの人たちもお疲れでしたからね。心地よい眠りをサービスです♪」
 ほどなく、眠りの霧を吸い込んだ騎士たちは机に上へ倒れこみ、イビキを立てて眠りへと落ちていく。
「け、恵子さん、街中での魔法の無断使用って犯罪なんじゃ……」
「何のことです? 私が魔法を使ったって言う証拠はあります?」
 幸いと言うか、食堂の中に他の客はいない。厨房のほうへ首をめぐらせて見ると、宿屋のおばちゃんが親指を立てて「よくやってくれた」と、さわやかな笑顔を浮かべていた。
「後でばれても知りませんからね……」
 ここまでされては、後には引けない。あたしは心の中でため息を突きながら席から立つと、床に屈みこんで魔蟲をジッと見つめ、人差し指でチョイチョイと猫を呼ぶようにこちらへ気を向かせる。
「おいで……」
 小さな肉塊のような魔蟲は、警戒心もなくあたしのほうへ近寄ってくると、手のひらの上に乗る。
「―――これで契約完了ッと」
「もう?」
 あまりにもあっさりと契約が終わり、恵子さんが軽く驚きの声を上げる。その目の前で、強く一瞬だけ輝きを放った魔蟲は姿を消し、あたしの手の平には緑玉石の魔封玉がコロンと転がった。
「ほら、ジェルも」
 もう片方の手を差し伸べると、ジェルも魔蟲と同じように手の上に乗り、透明な魔封玉に姿を変えてしまう。こうして手の上に乗った魔封玉を強く握りこめば、その姿形はどこにも見えなくなってしまい、あたしは驚いて呆然としている恵子さんが向けるくすぐったい視線を浴びながら席に戻った。
「へぇ〜…これはホント、私じゃ真似できそうにないな……せっかくお姉様とモンスターを使って楽しもうと思ってたのに」
「やめた方がいいですよ。今日は上手くいったけど、いつもはもっとひどい目に会いますから」
「そんなに?」
「そりゃもう……人生やめたくなるぐらい」
 目を遠い過去へ向けながら、スライムに全身を弄ばれたり、精神世界で何十匹ものオークに輪姦された事を思い出す。
「何度も言いますけど、このやり方は本当にあたししか出来ないんですから。絶対に真似しちゃダメですからね」
「残念……」
 恵子さんや美里さんみたいな美人にあんな目を味合わせるわけにはいかないと強く念を押すと、よっぽどモンスターと契約したかったのか、恵子さんは残念そうな表情を浮かべ、
「………でもないかな。たくや君が私たちの仲間になってくれれば」
 と、落胆したのが嘘の様に、すぐさま明るい笑顔で顔を上げた。
「あたしが……恵子さんたちの仲間?」
「そ。捕まってるのがたくや君だって知ってから、前々からお姉様と話し合ってたの。モンスター使いって面白そうだし、新しい“子”をパーティーに入れるのも刺激があっていいかな〜って♪」
「お断りします」
 “子”と強調された部分に嫌な予感を感じ、あたしはすぐさま申し出をお断りした。
 確かに美人のお姉様二人とお近づきになれたら……と思わないではないけれど、恵子さんの言葉からも、二人がレズレズな関係である事はわかってしまっている。そんな二人と一緒に旅をしたら、どんな目に会うかは火を見るよりも明らかだ。
 それに……
「あたしはあたしの目的があって旅をしてるんです。冒険者になったのも、便利だからって事で成り行きみたいなものだし。だから、きっと迷惑になっちゃうと思うんで……申し訳ありませんけど、恵子さんのお話をお受けする事はできないんです」
 取り調べの調書は恵子さんも目にしているから知っているだろう。魔王云々の話は伏せているけれど、あたしが元々男である事、そして元の体に戻る方法を求めて旅をしている事……もし恵子さんたちの仲間になれば、きっと今以上に、自分の目的に関われる時間は少なくなると思う。
 それに加え、あたしが仮にも魔王と言う厄介なものを押し付けられた事で舞い込んでくるトラブルに、逆に二人を巻き込んでしまいかねない。むしろ協力してくれればありがたいんだけれど、全てを話す事に躊躇している今、綾乃ちゃんのようにあたしために恵子さんたちへ迷惑をかけることにも二の足を踏んでしまう。
「―――そっか。振られちゃったんだ、私もお姉様も。あ〜あ、たくや君が一緒だったら楽しくなると思ったのにな〜」
「すみません」
「ううん、気にしなくていいのよ。その分だけ、たくや君の拘留時間が長くなるんだから」
「………は?」
「当然でしょ? たくや君の話には矛盾が多いんだから。河に落とされて何時間も水の底をさまよったとか、一人で山賊水賊両方やっつけたとか。騎士団の人たち、結構疑ってるみたいよ」
「そ、そんな! あたし、ちゃんと協力してるのにィ!」
 あまりと言えばあんまりだ。言われるがままに宿屋に軟禁されて一歩も外に出ていない。そもそも、何一つ悪い事をしていないのに疑われるのがおかしいのだ。
「私たちの仲間になってくれれば、身分保障ってことですぐにでも開放してあげられたんだけどね〜♪ どう、今からでも遅くないよ?」
「そ、それは……ううう、ひ、卑怯な……」
「でも、せっかく派遣されてきたのに、山賊と水賊、両方対峙したのが冒険者の女の子だったんだもん。騎士団の人たちも面子丸つぶれなのよね。その上、被害者に返還するべき盗賊団の財宝も水賊のアジトからしか見つからなかったんだから」
「だからそれは……」
 水賊にも説明したけれど、本当にあたしは山賊の財宝なんて見た事も触った事もないのだ。例え何日取調べを受けたって、在り処も知らないし持ってもいないものを、どうやって返せばいいと言うのだ。
 恵子さんから聞かされた騎士団の思惑に、どう対処したらいいものか……それがさっぱり分からない。国家権力に反抗してここから逃げ出したら、それこそ大陸中に指名手配されるかもしれない。かといって、ここに永遠に軟禁されているはずもないだろうから、疑わしいと言う理由だけで投獄される可能性も考えられる。
 完全に八方ふさがりの手詰まり状態だ。この宿から出て行くことも許されないあたしでは、自身にかけられた疑いを晴らす事もできない。こうなれば盗賊団の財宝が早々に見つかるのを祈るだけなんだけれど……今になっても見つけられないのなら、そちらのほうもかなり望み薄だろう。
「ああ、もう! 誰でもいいから財宝のありかぐらい教えなさいよぉ〜〜〜〜〜〜!!!」
 頭をガシガシ掻き毟りながら、天井に向かって叫ぶ。そうでもしないと、今のやりきれない状況に耐え切れやしない………のだが、
「知ってますよ、財宝のある場所」
 ―――と、恵子さんの朝食を運んできた綾乃ちゃんの口から、思いにもよらない言葉が飛び出てきた。


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