第九章「湯煙」05


 目を覚ました時、あたしはベッドに寝かされていた。
 一瞬、あたしが死んだのは夢だったのではないかと思う。同時に、ここは天国ではなかろうかと言う疑念も頭をかする。
「………なんだ。あたし、どっちにしても死んでるじゃん」
 あー、やれやれ。結局死んでも女のままか……何とかは死んでも直らないと言うけど、まさか本当だったなんてね……
 どうせ死んだんだし、魂になっても女のままならぐっすり眠る事ぐらいは構わないだろう。ここのところ、娼館仕事で夜遅くまで働かされている事が多くて慢性的に寝不足だったし、ある意味ちょうどいい。
 そう決めると行動は早い。体の上にかけてあったシーツを掴んで寝返りをうち、頭まで布団の中に隠してしまうと、あたしは。
「あ、目を覚ました?」
「………ほえ?」
 女の人の声……ああ、そうか。きっと天使だ。わーい、あたしってば天国に来れたんだぁ……ぐぅぐぅ……
「寝ぼけてないで起きなさい」
 ん? この香り……おいしそうなスープの香り……うん、何種類かのハーブの奏でる絶妙なハーモニー……
「―――投下」
「…………んギャあああああああああああああああああああぁぁぁ!!!」
 いきなりシーツを奪い取られたかと思うと、上を向いた耳の穴にとてつもなく熱い液体を注ぎいれられる。
「あちっ、あちあちあちィィィ!!!」
「特製の香草スープよ。切り傷によく聞くからタップリ飲みなさい♪」
 あたしは耳からスープを飲んだりしないってばぁぁぁ!!!
 アツアツホカホカのスープの直撃を受け、ベッドの上でゴロゴロと身悶える。

「ほんとにもう……せっかく人が食事まで作って待ってあげてるんだから、意識を取り戻したならちゃんと声ぐらい掛けてよ」
「だ、だからって人の耳にスープ注ぐなんて非常識にも程がある!!!」
「寝ぼけた頭を起こすにはちょうどいいでしょ? さっきから考えてる事全部口に出てたわよ。―――それから、死んだ夢を見てても死んでることにはならないからね、念の為に」
「だからってねぇだからってねぇ!………あれ、ここどこ?」
「………本当にのんびりしてるわね」
 手渡された濡れ手拭で耳を冷やしながら、この部屋が見たことも無い場所であり、ベッドの傍で苦笑している人物にだけ見覚えがある事に気付く。
「仮面の……」
 腰にまで届く長い髪を掻き揚げ、顔の上半分を仮面で覆い隠した女騎士があたしへ微笑みかける。
「お久しぶり……でいいのかしら?」
「何で疑問系なんですか……本当にお久しぶりです、ええっと……」
 と言って、「仮面の女騎士」と呼びかける不自然さに思わず口ごもってしまう。
「―――美由紀でいいわ。もっとも、顔と同じで名前もウソかもしれないけど?」
「わかりました、美由紀さんね」
「………偽名かもしれないって言ってるのに」
 素直に名前を呼んだのがそんなに変だったのだろうか。少し困った感じの表情を仮面に覆われていない口元に浮かべている。
 もっとも、例え「美由紀」と言う名前が偽名でもあたしは気にしない。娼館で働いてれば相手の本名を知っているケースの方が稀だ。偽りの名前を名乗って娼婦として働くのにそれなりの訳を持っている人も多い。そんな職場で寝泊りしていた事もあって、美由紀さんにも本名を名乗れない理由があるのだろうと、特に詮索するまでもなく考え付いてしまう。
「まあ、「仮面の騎士様」って呼ぶよりもずっと親しみが沸くし、いいんじゃない?」
「たくや君がそう言うなら私は構わないんだけど……それより、「その」話題を持ち出さないのはやっぱり避けてるから?」
「………それって?」
「だから、それ」
 美由紀さんの指差す方向はなんとなくあたしの方を向いている。まっすぐ伸ばされた指の先から目を動かし、アゴを引くように視線を動かすと……体を起こした時にシーツが落ちた、包帯だらけのあたしの胸元へと辿り着いた。
「うあ、ミイラ男……」
 半月経たない間に、フジエーダでの事件に続いてまたもやミイラ状態……アイハラン村にいた頃は三日に一度ぐらいはベッドで呻く羽目に陥っていたけれど、ここまでひどい大怪我はめったになかった。
 胸はおろか、腕にお腹に足に肩に、包帯巻かれて無いのは額を除いた頭部だけと言う有様だ。
「………う…うぅ……恐かったよォ……よく生きてたなァ、あたし……」
「それもあるけど……私が指差してるのは怪我じゃなくて胸よ」
「胸………?」
 胸と言えばやっぱり胸で……切り落とされたとか抉れたとかそう言うことも無く、包帯の下で二つともちゃんと膨らんでいる………ああ、そう言うことか。
「これについて説明するとそれなりに長くなるんですけど……あはは……」
 言わんとしている事にようやく気付いた。どうも血を流しすぎて頭が回っていないようだ。
 アイハラン村で美由紀さんに出会ったときにはあたしは男だった。でもって今は正真正銘、どこから見ても女になっているんだからおかしく思われても仕方が無い。それよりも女になっててもちゃんとあたしだと気づいてくれて、手当までしてくれた美由紀さんに感謝しなくちゃいけないぐらいだ。
「笑い事じゃないわよ……あの後、アイハラン村でどれだけ混乱が起きたと思ってる? それなのにたくや君ときたら……ハァ……」
 そう言って顔を抑えた美由紀さんは、その時の事を思い出して重たいため息を突いた。
「まあ、無事に生きててくれたのは何よりだけど」
「ついさっき殺されかけましたけど……」
「その件についてはこちらに全面的に非があるわ。だけど“こっち側”に他の人が偶然だけで入ってこれるとは思ってなかったから、不審人物だと思ってあの子達も容赦しなかったんでしょうね」
 言って、美由紀さんは室内に置かれていた椅子をベッドの傍へ移動させると腰をかけた。そして身を乗り出してあたしの顔を覗き込む。
「これからたくや君には色々と聞かなきゃいけない事がたくさんあるから。尋問されたくなかったらテキパキ答えてね」
 と、なにやら物騒な単語の入った言葉を口にして、湯気の建つ温かいスープの入った皿をあたしの前へ差し出した。
「もしかして拷問って耳からスープを飲ませるんじゃ……」
「ち、違うわよ! あれは……そう、気付薬の代わりよ。あのままずっと眠りっぱなしなんじゃないかって思って」
「―――いや、その説明は無理ありすぎだし」
「だって………」
 一度差し出してくれたスープの皿を、置き場なく自分の膝の上に戻し、美由紀さんは仮面で上半分を隠した顔にそれでも分かるぐらいの困惑の表情を浮かべ、あたしから顔をそらして俯いてしまう。
「美由紀さん?」
「………あの時の約束、覚えてる?」
「や、約束?」
「………やっぱり忘れてる」
「え、や、ちょっと待って。今思い出すから!」
 約束……約束……美由紀さんと何の約束してたっけ、あたし!?
 ちょっぴり拗ねた美由紀さんの目の前で、あたしは頭を抱え……ようとして、包帯を何重にも巻きつけられた腕を曲げられず、それ以上に背中とお腹の引きつるような激痛に言葉を失い、頭の中に火花が盛大に飛び散って何も考えられなくなってしまう。
「グ……ぁ……………!」
「だ、大丈夫!? とりあえず横になって。ありったっけの療符を貼ってあるけど、一週間は動けないんだから!」
「だって……み、美由紀さんとの…約束………」
「そんなのどうだっていいから!―――あ、その前に」
 支えられながらベッドへ横たわると、美由紀さんは仮面で隠した顔をこの部屋にひとつしか無い扉へと向ける。
「たくや君のお仲間がついたみたいよ」
「え……綾乃ちゃんが?」
「こんなに重症なんだもの。いつまでもたくや君が姿を消したままだと心配するだろうし、女の子一人だって言うから、私の部下に迎えに行かせたわ」
 それもそうかと天井を見つめながら思っていると、美由紀さんの言葉どおり、十秒と経たないうちに息を切らせた綾乃ちゃんが扉を開けて姿を見せた。
 ―――ここは元気に振舞って綾乃ちゃんの心配を和らげてあげないと。
「せ、先輩が、大怪我をしたって、だから、私、心配で、あの、あの……!」
「綾乃ちゃん、やっほ〜♪」
 とりあえず体を起こ――そうとしてそのままベッドへ倒れこみ、手をあげ――ようとして包帯で固められた腕をぎこちなく動かした。
「………はぅ〜…」
 あたしとしては精一杯元気で大丈夫さんをアピールした――はずなのに、あたしの姿を見た綾乃ちゃんはその場に立ったまま硬直し、後ろに倒れてしまった。
「あれ?」
「バカ。そんなミイラ姿を見せるから……」
 仮面の上から額に手を当て、「やれやれ、また手のかかる…」と言った感じの仕草を見せた美由紀さんだが、開け放たれたままの扉を見た途端、急に表情だけでなく態度まで強張らせる。
「あら、お客様が来てたの? こんなところに珍しいわね」
 どうしたのかと思うあたしの耳に、美由紀さんでも綾乃ちゃんでも無い、もっと年上の女性の声が聞こえてきた。
「マ、マスター……これには…その…深い事情が………」
「珍しいわね。あなたが私へ報告するときに椅子に座ったままだなんて」
「はッ、申し訳ありません!」
 慌てて美由紀さんは椅子から立ち上がり、直立不動の姿勢で敬礼する。それがおかしくはあるものの、事情が飲み込めないまま、あたしは体を起こそうと試みる。
 ―――マスターと言う事は、この人が美由紀さんの主人なんだよね……
 まあ、いきなり襲い掛かられてナイフでめった刺しにされましたと文句を言うつもりは無いけれど、せめてあたしが悪いんだと美由紀さんを一言かばいたい。………そう思ってやっと体を起こして扉へ顔を向けられるようになると、美由紀さんがいきなりあたしの顔へシーツを被せ、枕へとあたしの頭を押さえつけた。
(たくや君は黙ってて。話がこじれるから!………静かにしてないと貞操がどうなっても知らないわよ)
 貞操!? ちょ、一体何の話なの!?
(いいから。ここは私が何とか誤魔化すから。………そんなのが通じる相手じゃないんだけど)
 う〜む、ここは事態を静観した方がいいのか……と考え、綾乃ちゃんがまだ入り口に倒れたままだった事を思い出した。
「か、彼女は、偶然、ええ偶然こちら側へ入り込んできてしまったんです。その際に少し怪我をしてしまいまして、それで治療しているわけなんです!」
「綾乃ちゃん!?」
 美由紀さんの腕を跳ね除けてガバッと体を起こす。
「あ、こら、静かに寝てなさいって。傷口が開くし!」
「だけどさっきの綾乃ちゃん、後頭部から倒れこまなかった!?」
「………諦めて。大丈夫、命まではとられないから……」
「それ、どういう意味よ!? 綾乃ちゃんにまで大怪我させたらマズいでしょ、さすがに!?」
「ああもう! マスターが出てくまで、どうして眠っててくれないのよ!」
「耳にスープ流し込んでまで無理やり起こしたのは美由紀さんのくせにィ!」
「それはそれ、これはこれなの!」
「だからとりあえず綾乃ちゃんの具合を―――」
 と、言葉を口に仕掛ながらも、美由紀さんの仕える主人の女性がどんな人かと言う興味から視線が扉の方へと向いてしまう。
 そこにいたのは美由紀さんに負けず劣らずの長身の女性―――しかも全裸。しかも全然隠してない。見た瞬間、頭にたまっていた血液が一気に沸騰し、貧血がひどくなって再び卒倒しそうなぐらいに色っぽい美女が部屋の入り口に立っていた。
 年齢的にはあたしや美由紀さんよりも上、妙齢と言う言葉がぴったり来るほど妖艶な色気を漂わせていて、まるで湯上りのようにほんのり赤く染まった肌に水気を帯びた長い髪が張り付いている。
 肌と黒髪の対比が余りに強烈過ぎたからだろうか、それとも恥じる事無く突き出されているふくよかな乳房やウエストのくびれに目を奪われたからだろうか、女性を目にした途端にあたしは驚きのあまり言葉を失ってしまっていた。
「あら? ふふふ……」
 あたしの視線に気付いて、美女は恥ずかしそうに腰へ腕を絡みつかせて身をよじる……その動きは決して恥らう動きではない。あたしではあと百年経っても出来そうに無い妖艶な笑みを浮かべ、膝から先をすっと前へ差し出せば太股から爪先までまっすぐ伸びる美脚へ目を釘付けにされ、自分の胸の谷間に腕を挟ませるようなしぐさには、失ったはずのおチ○チンが破裂するんじゃないかと錯覚を覚えてしまうほどに興奮を覚えてしまう。
「可愛いお嬢さんね。てっきり殿方を匿ってるものだと思ってたのに」
「あ……あの……あ、あたしは………」
 何か言おうとするけれど、言葉が喉に引っかかってうまく喋れない。木の床を濡れた素足で踏みしめて近づいてくるにつれて、あたしはますます視線を動かせなくなり、さっきからずっとおっぱいとか股間の茂みとかばかりをマジマジと見てしまっている。
「もう見ちゃダメぇ!」
 いつまでも未定チャさすがに悪いかと思い始めた時、不意にあたしの視界を何かがさえぎった。それが剣の鞘だと気付いた時には既にあたしの顔面は横一文字に凪ぎ払われていて、痛みを感じるよりも早くベッドへ叩きつけられてしまっていた。
「う…うグググぅ………!」
 痛くても包帯が邪魔で腕を動かせないから顔を抑えることも出来ない。鼻の骨が粉砕骨折したんじゃないかと思うような強烈な一撃にただ涙を流し、ベッドの上を転がりまわる事しかできないでいた。
「ご、ごめんなさい。けど、あまりマスターの肌をじろじろと見ないでいただきたい」
「私は構わないわよ? むしろ彼女のような人にならもっと積極的に見てもらいたいわ……あぁ……興奮しそう……」
「ま、マスター!!!」
「冗談よ。あなたの恋人を寝取るつもりはないわ。―――でも、ここに来て半月ほどになるんですもの、少し味見を……いえ、私の部下にふさわしいかどうか、きちんと確かめなくちゃ。もちろん女性同士の恋愛は私は認めているわよ?」
「違うんです、この人はそう言うんじゃなくて、だから、偶然こちら側に入ってきちゃって―――!」
「そうなの? ならあなたに気兼ねする必要は無いわね。今夜はタップリ……ふふふふふ♪」
「や……ダメです、絶対にダメェ!」
 ―――ベッドの傍らで主人と従者とは思えない会話が続いているけれど、とりあえずあたしの顔は陥没して無い。美由紀さんもひどいコトするなぁ……
 なんとか動かした腕と枕とで溢れた涙を拭って顔を上げる。それでもまだ衝撃が頭の中に鳴り響いていたけれど、まだ話の途中だったしと反射的に顔を二人の方へ顔を向ける。
「まぁ……大丈夫だった? こんなに綺麗な顔が台無しになるところだったわね……」
「あ、いえ、大丈夫ですよ。結構痛かったけど鼻血も出て無いし、全身の怪我の方がひどい…し………」
 ゴージャスなボディーをした美女の方がベッドに手を付き、心配そうな表情を浮かべて身を乗り出し、吐息が掛かる距離にまで顔を近づけてくる。
 ―――こ、これは……物凄い光景かも……
 肌が近づくことで感じる熱気と周囲に漂うほのかな温泉と石鹸の香りを吸い込むと、鼻の奥にハンマーで殴られたような衝撃が走り抜ける。
 明らかにあたしよりも大きな胸が重力に従って重たげに下を向いている。だからと言って「ぶら下がっている」と言う表現は全然適していない。十分ん過ぎるほど張りと重量感を伴ったたわわな膨らみは、あたしに見つめられている事を知りながら赤く色づいた先端から白いシーツへポタポタと水滴を滴らせていた。
 まるで急速にのぼせていくように、鼓動が早くなっていく。全身を駆け巡る血液がお湯と入れ替わったかのように熱くなってしまい、思わず唾を飲んでしまう光景に自分が今は女である事も忘れて見入ってしまっていると、細くしなやかな指先が伸びてきて首筋に触れられてしまう。
「ん……ッ!」
 首筋から頬へと撫で上げられ、くすぐったさに小さく声を漏らしながら体を硬くする。―――けれどちっとも不快じゃない。あやされる赤ん坊のような気持ちで指先に体どころか何もかも全て委ねてしまいそうになる。
 いつしか全身から力が抜けてしまったあたしはベッドへゆっくりと倒れこむ。すると全裸の美女は濡れた体のままであたしの上へと覆いかぶさってきてしまい、白磁のような輝きを放つ濡れた乳房がシーツを挟んであたしの胸へと押し付けられてしまう。
「たくや君!?」
 美由紀さんの声が聞こえる。………すぐ傍で美由紀さんに見られていると言うのに、この人のする事に抵抗できない。例えあたしが男でも女でも受けいれられてしまいそうな妖艶さと布越しに伝わる素肌の温もりに心地よいものを感じてしまっていた。
 うなじをくすぐられているだけなのに、あたしの体には次第に情欲の疼きが込み上げてきてしまい、震える唇からは恥じらいも忘れて悩ましい息を漏らしてしまいそうになる。喉をかすかにそらせて声を出す事だけは必死に堪えていると、いきなり美女の唇があたしの肩口に触れ、わずかに突き出した舌先であたしの鎖骨をくすぐるように舐めまわす。
「ゃ……ん………うゥ………!」
 チュッと小さな口付けの音が響き、あたしは喉の奥からうめき声を漏らしてしまう。唇を噛み締めて二度とそんな声を漏らさないように堪えてみるけれど、男の人相手では味わえないような繊細なキスに反応が次第に敏感になっていく。
 ―――体動かせないのに……このままじゃあたし……犯されちゃうゥ………!
 助けてくれそうなはずの美由紀さんもベッドの横で立ち尽くしたまま。綾乃ちゃんもまだ目を覚ましてくれず、ついにキスされた場所から感じてしまう疼きに耐え切れなくなり、シーツの下でよじり合わせている太股の奥の方から熱い液体をグジュッと溢れさせてしまう。
「すこしいじめすぎたかしら? ごめんなさいね」
 唇がふいにはなれ、続いて美女の体もあたしから離れていく。その事に軽い安堵を覚えるのと同時に、狂おしいまでの寂しさまで感じてしまっていた。
 ―――油断したら、アソコからあふれ出しそうだよぉ………
 ささやかな愛撫の余韻に浸っていると、緩やかに蠢く膣道の奥から愛液があふれ出してしまいそうになり、慌てて力を込めてキュッとすぼめる。包帯の下では肌がネットリと汗ばみ、内股には小刻みな震えまでが残っている。
「美由紀、彼女を後で私のいるところまで連れて来なさい。切り傷に効く湯の場所はわかっているわね?」
「………はい」
 仮面で隠した表情はいまいち掴みにくいけれど、美由紀さんの声には納得のいかない感情の色が隠しきれないでいる。
 ―――怒ってるのかな?
 だとしたら何に怒っているんだろうか。これが明日香なら、あたしに非がなくても美人にあんな事されてデレデレしてるってだけで撲殺の対象にされるから分かりやすいんだけれど、美由紀さんの事をあまり知らないこともあって、怒りがあたしに向けられているのか主人に向けられているのかも分かりづらい。
 そうこう考えている内に、
「それではたくや君、また後ほどゆっくりと…♪」
 全裸の美女はあたしへキッスを投げてよこし、ウインクしながら部屋から出て行ってしまった。
「は…ははは……なんか、困っちゃうよね、あんな事されると」
 なにも悪いことはしていないんだし卑屈になる必要は無いんだけど、二人っきりになると怒りのオーラを噴出し始めた美由紀さんに、あたしは愛想笑いを浮かべてご機嫌を伺うしかなかった。
「―――エン、ブ、どうせいるんでしょう。出てきなさい」
 美由紀さんはあたしの言葉に答えは返さず、視線すらあたしの方へ向けずにここにいない誰かへ呼びかける。するといきなり部屋の中に黒い服で身を固め、外見からは男か女かすら分からないようにしたアサシン二人が姿を現した。
「あ…あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!?」
 包帯を巻いた手を振りながらそう叫ぶと、バツが悪そうにアサシン二人は肩をすくめて見せた。―――間違いない。あたしを瀕死に追いやった二人だ。
「私はマスターの護衛に付くからあなたたち二人が彼女等の付き添いをしなさい」
「し、しかしお頭……」
 ―――バゴッ!
「私をおかしらと呼ばないようにと何度も注意してるわよね。隠密なら一度の指摘で覚えなさい!」
 やや反りのある長剣を鞘ごとベルトから引き抜き、アサシンの一人の頭に目にも留まらぬ速さの一撃を叩きつけた。―――あたしの顔を殴ったときもあんな感じだったのだろう。音を聞くだけでもかなり痛そうだ。
「ともかく二人の事は任せました。怪我を負わせたのは二人なんだから責任を取りなさい、いいわね!?」
 最後の方はもう八つ当たり気味に怒鳴り散らした美由紀さんは、最後に一度だけベッドの上のあたしの方へ顔を向け、床を踏み鳴らしながら部屋を出、物凄い勢いで扉を叩き閉めた。
「……ハァ。まさかあの隊長が焼き餅焼くだなんてねぇ……しかも同性相手にだし」
 あたしと気絶したままの綾乃ちゃん、そしてアサシンの二人を含めた四人が部屋に残されると、緊張を解いたアサシンたちは顔を隠したフードを脱ぎ去り、その下からはかなり可愛い顔が現れた。
 ―――二人とも女の子だったんだ……
 片方が女性である事は一度だけ声を聞いたから知っていたけれど、まさか二人ともあたしとたいして年の離れていない女の子だったとは驚きだ。
「アイスフェイスに恋人現る!?――なんて口にしたら、絶対に氷付けにされるよね」
「その前に切り殺されるわよ。隊長、普段はあんな表情全然見せなかったもの」
「うんうん、純情だねぇ。けど好きな人の前では……」
 マスクを脱ぐなり饒舌になった二人は、二人してあたしに意味ありげな視線を向ける。
「あの………なに?」
「んっふっふ〜。「なに?」と訊くのはあたしたちのほうだと思うんだけどぉ〜?」
「正直に話しなさい。隊長とはどこで知り合ったの? って言うか、本当に隊長ってレズ!?」
「バッカね〜。隊長はレズはレズでも猫に決まってるじゃない。そうじゃなきゃ、あたしたち三人ともマスターと隊長とで手篭めにされまくりになってるわよ」
「でもさぁ、この子だったら襲われるより襲っちゃうって方が方がぴったりじゃない? 私たちも現に襲っちゃったわけだし」
「ああ、それもそっかぁ。さっきはゴメンね、いきなりめった刺しになって痛かったでしょ?」
「かなりの凄腕よね。冒険者なんでしょ? 隊長が張ってた幻炎結界、あれ、どうやって破ったか教えてよ」
「はぁ………」
 答えようかとも思うんだけど、身を乗り出す勢いで二人掛かりで喋られては口の挟む隙が無い。
 それにしても美由紀さんが同性愛者………はは、まさかねェ……
 とてもアサシンとは思えないような喋りっぷりに圧倒されっぱなしだけれど、その中に幾つか気になる言葉もある。
 アイスフェイス―――あたしの知る美由紀さんのイメージとはかけ離れている。それに二人の言葉によるとかなり恐そうな印象を受けるけれど、剣の実力はともかく、いくら想像しても美由紀さんは普通の女の子にしか思えない。
 ………それでも騎士を務めて主人に仕えてるんだから……人は見かけによらないよね。
「それでさ、二人の出会いから再開までのエピソードを教えてくれないかな? 今出なくてもいいの、夜中に寝静まった頃にまた来るから」
「そう言えば怪我の具合はどう? 私たち、殺る方専門だから手当の仕方とかって苦手なのよね。って、アレだけナイフに刺されて生きてる方がスゴいわよ。実はゾンビ?」
 ―――そんなことより、気を失ったままの綾乃ちゃんを介抱してあげて欲しいんだけどな……
 こりゃ二人が話し終えるまで待つしかない。そう諦めてため息を突くと、

―――ドンッ

 と音を響かせ、何かがあたしと二人のアサシンの女の子との間を通り抜けた。
「な、なにっ!?」
 あたしは無事だが二人は!?――と体を跳ね起こして目にしたものは、床に尻餅をついた二人のアサシンとベッドの頭側の壁に突き刺さった一本のナイフ。そしてそのナイフが飛んできた方向にある扉にあいた小さな風穴だった。
「………これ、もしかして美由紀さん?」
 問いかけると、アサシンの女の子たちは揃ってコクコクと頷いた。
「じゃ、じゃあ私はあっちの倒れてる女の子を介抱させていただきます」
「はい、私はたくや様の包帯を変えさせていただきます。悪戯しません。心底お詫びします。ですからさっきの会話は全部忘れて。でないと私らお頭に……ウッウッウッ……」
 ―――まあ、告げ口みたいな事をするつもりは無いけど……それでも二人とも、もう一回ぐらいは美由紀さんに怒られるんじゃないかな?
 まるで悪戯を見咎められた子供のように急に機敏に動き出した二人だけれど、「お頭」って言っちゃいけなかったんだろうかと疑問に思う。


 ―――その直後、二本目の投げナイフが扉にもう一個風穴をあけた。


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