第八章「襲撃」02


「うぎゃああああっ! 助けて、助けてぇ〜〜〜〜!!」
 時刻は昼過ぎ……弘二がフジエーダから出発した方角へ進んでいると、助けを求める男の悲鳴が聞こえてきた。
 その情けない声は弘二のものだ。二日前に出発して何でこんなところにいるんだと言う疑問はともかくとして……放っておきたい。放っておきたいけど……人間としてさすがに放っておくことは出来ず、声が聞こえた方向へと駆け出した。
「ったく……しょうがないよね。これは人助けなんだから…ぶつぶつ……」
 手にした棍と腰の後ろのショートソードを確認……大丈夫。戦う準備は整っている。けれどあたしは極々平々凡々な一般ピープルだ。武器を持ってはいても戦士や剣士ではないし、一歩一歩踏み出すたびに心臓が緊張で破裂しそうなほど脈打っている。
 だけど自分でも不思議に思う。……なぜか恐いとは感じない。男のとき、あれほど小心者だった自分と同じに思えないほどの肝の据わりようだ。……やっぱり女になったせいかな。明日香とかを見てると女の子の方がこういうとき、思い切りがいいから。
「すみません、ごめんなさい、もう怒ったりしませんから、うわぁ、うわぁぁぁぁ!!!」
 声が近い。もうすぐそこだ。
 魔法のかかったライトブーツで地面を蹴り、木々の間を一気に抜ける。森に囲まれたアイハラン村で遊び育ったんだから、あたしでもこのぐらいはお手の物だ。
 ―――と、見つけた。前方、少し開けた場所で一人の男が四匹のゴブリンによって袋叩きにされている光景が見えた。
「………見つけなきゃよかった」
 心の底からの本音を漏らしながら棍を握る手に力を込める。
 なんでこいつはいつもこうなんだろう……はっきり言ってアイツはあたしのところに災いかトラブルしか呼び込まない。見たら逃げたい疫病神だ。―――けど見てしまった以上は放っておく事もできず、自分の性格を呪いながら反射的に身体が動き始めてしまう。
「こらぁ! あんたたち、弱いものいじめもいい加減にしなさいよね!」
 大声を上げながらゴブリンたちの前へと躍り出ると、四匹の注意は弘二から突然現れたあたしへと向けられる。
「ここは人間の縄張りなんだから、あんたたちはもっと森の奥へ帰りなさい!」
 右足を前に出して右半身に構え、木製の棍を槍のように四匹へ向ける。
 この行動はゴブリンたちを脅かして逃げ帰らせる威嚇と、そして弘二が逃げ出す時間を稼ぐと言う二つの意味合いを持っている。――けどどっちの効果も為してはくれない。防火ジャケットの合わせ目から突き出たたわわな乳房の丸みや、ショートパンツが食い込む股間やニーソックスに覆われたムッチリとした太股を舐めるように見つめまわしたゴブリンたちは目標をあたしに切り替え、股間を膨らませて取り囲もうと動き出すけれど、倒れ伏した弘二はあたしの声を聞いてもぴくりとも動こうとしなかった。
「はぁ……結局こうなるのか…だから弘二がらみはイヤなのよ!」
 語尾に力を込めて言い切るのと同時にゴブリンの一匹が飛び掛ってくる。それを後ろに飛んで交わすと、タイミングをずらして右からもゴブリンが突っ込んでくる。
 意外に戦い慣れてる。――頭が悪いといわれるゴブリンにしては背中を見せている右手側から襲い掛かるなどと頭を使った見事な攻撃だけど、あたしは焦る事はなかった。
 棍と言うのは実際のところまっすぐな木の棒だ。刃もなく、ポールウェポン(長柄武器)としても軽量で破壊力に乏しく、一撃でモンスターを打ち倒すのは難しい。―――けれどその分、扱いやすい、と言う特徴もある。刃がなければ刃筋の角度を気にしなくてもいい。長柄で軽量ならリーチが長くても振り回しやすい。破壊力が低いなら、手加減無用で力を込められるという事だ。
 右足を引いて、左足を前にした左半身へと構えを変える。その際に前から後ろへと棍の先端を振り回し、突撃してきたゴブリンの側頭部へ一撃を加え、動きが緩んだところへ棍の反対側で脛を打ち付ける。
 頭と脚、上下の部位を剣では難しい連撃で痛打されたゴブリンはもんどりうって草の生えた地面へと倒れこんだ。非力なあたしの攻撃とは言えカウンターで食らった打撃の威力は十分ゴブリンに浸透しており、すぐには立ち上がれないでいる。
「悪いけど、モンスターとエッチするのはこりごりだから」
 あたしはそのまま逃げ出した。
 トドメを差しておきたいところだけど、相手はまだ三匹もいる。既に腰を落として飛びかかろうとするゴブリンたちを前にして、飛び退りながらポーチから煙玉を取り出すと地面へと叩きつける。
 ポンッと軽い爆発音が響いた直後にきびすを返し、周囲に立ち込めた白煙を背にして走り来た道を引き返す。
「三十六系逃げるにしかずってね」
 集団を相手にするときの基本戦術は、まず第一に取り囲まれないことだ。
 神官長との訓練で何度となく教えられたのは、力が無く魔法が使えなくても戦える「戦術」の類だった。相手との間合いの取り方、飛び道具への対処方法、果ては逃げ方に至るまで、戦闘で取りうる行動と手段とを知識として教えられ、それらを駆使して確実に勝てる状況を作り出す……そのための基礎を戦闘訓練の合間に教えてもらっていた。
 残りのゴブリンは後三匹。走りながら振り返ると、特に素早そうな一匹を先頭に順番に白煙の向こう側から飛び出してくる。極上の獲物を早々見逃す手はない、と言うところだ。
 だけど、動きがあまりに直線的だ。仲間を打ち倒されて怒りに燃えるゴブリンは左右へ回りこみやすい森の中だと言うことも忘れて一直線にあたしへと駆け寄ってくる。―――まさに獣だ。
 それだけに動きも単調で読みやすい。あたしが振り向き棍を構えると、先ほどと同じくゴブリンは高く飛び上がり、鋭く伸びた爪をあたしへと振り下ろす。
 パンッ
 その腕を跳ね上げた棍の先で打ち払う。リートが長くて軽量の棍なら受け流しもしやすく、はじかれたゴブリンはあたしの背後へと着地した。
「てりゃ!」
 その背中へ全力で蹴りを叩き込んだ。棍で打つまでも無い。―――なにしろ、蹴り飛ばされた方向へは太い幹の巨木がそびえ立っているのだから。
 顔面から鋼の刃も食い込みそうにないほど硬い木の表面へ突っ込んで、これで二匹め撃破。残りは二匹。
「ふうっ」
 胸に溜まった熱い空気を鋭く吐きながら後ろを見ると、こちらへ向かっているのは一匹だけだ。どこに行ったかと疑問に思うが、周囲を見渡す余裕は無い。とりあえず自分の間合いを確保するために左手でポーチから丸い飛礫を取り出してその足元へ投げつけると、そのゴブリンは飛び跳ね、信じられない動きを見せた。
 ゴブリンは飛んだ勢いを消す事無く木の幹を蹴ると、反対の方向へとジャンプした。そして反対の木も同じように蹴り、加速しながら森の木々の間を猿のように飛び回った。
 頭上を飛び回るゴブリンの動きに棍では不利。そう判断すると、あたしは迷い無く頼りになる武器を地面へ投げ捨て腰の後ろからショートソードを引き抜く。―――そして両手で構えるまでの一瞬の隙に、左手側の木の裏から飛び出してきたゴブリンが小さな体をさらに低くして突っ込んできた。
 やばい。このタイミングなら、同時に頭上からもう一匹のゴブリンも襲い掛かってくる。
 この状況では逃げるしかないけれど、あたしの脚は動いてくれなかった。飛び跳ねるゴブリンを警戒している内に、さっき木に激突したゴブリンが足元へとはいずり、あたしの脚を握り締めている。
 振り払えないほどの力じゃない。だけどその一瞬の間にゴブリンたちはあたしへと襲い掛かってくる。―――なら、先にするべきことは、
「ジェル、出てきて!」
 言葉にして命じると、左手のゴブリンが進行方向を直角に曲がるみたいに吹き飛ばされる。そして運動エネルギーを失ってその場に落下したのは小さな丸い形をしたスライム、名前はジェルだ。
 先ほど投じた飛礫―――契約したモンスターを封じている魔封玉から現れたスライムを、茂みに隠しておいたのもあたしの「一手」だ。トラップを仕掛ける暇も技術もないけれど、あたしにはこれがある。
 残るは一匹。素早く視線を走らせると斜め上から覆いかぶさるようにこちらへ飛んできているのが見えた。
 足を掴まれていては右にも左にも、動くのに一瞬の間が空いてしまう。なら迷う事は無い。左右がダメなら前がある。
 あたしは剣を持った手に注意しながら前へと倒れこんだ。その勢いで足首を掴んでいたゴブリンの手から抜け出し、飛んでくるゴブリンの下を前転しながら通り過ぎ、素早く背後を振り返る。
 だがゴブリンもそれを読んでいたのか、地面へ着地してはいなかった。背後にあった巨木の樹皮に手足をつき、今にも絶頂しそうなイってる笑みを浮かべ、あたしへ向けて矢の様に最後の跳躍を行った。
「この…変態モンスター!!」
 剣の柄に左手を添え、伸び上がり膝の勢いに乗せて右下から左上へと刃を振り上げる。
 焦りは無い。
 怯えも無い。
 あたしは腕の先で斬る様にショートソードを振り抜き―――娘を描く刃の軌道と重なったゴブリンの右腕を下から切り払った。
「グギャアアアァァァアアアアアアアッ!!」
 どさりと、ゴブリンの体がこちらを通り過ぎて地面に落ちる。
 腕からは血を流してはいるけど、腕は落ちていない。それでもばっさり切られた痛みで人間の耳では異様な悲鳴を上げ、クッション代わりになった草だらけの地面を何度も転げまわる。
 さすがにちょっとかわいそうか……相手が魔族とは言え、傷口を押さえて悶え苦しむ姿に罪悪感が芽生えてしまう。
 だからと言って、こいつらに犯されてあげる気持ちも毛頭なく、三匹ともうずくまっている間に棍を拾いあげて、ゴブリンたちを視界に収められる位置にまで移動する。
「さぁ、まだやるって言うなら相手になるわよ!」
 棍を構え、そう威嚇する。―――足元でスライムのジェルが丸い体を震わせて「そうだそうだ!」と言っているっぽいけれど……あたしとしてはこれ以上の切った張ったは勘弁して欲しい。もう手足が震えて立ってるのがやっとだし。
「グウゥゥゥ……」
 今度の威嚇は十分通用したようだ。あたしが自分たちよりも強く、襲うのは無理と判断したのだろう。一度だけ残念そうにあたし(のボディーライン)を見つめると、三匹ともそのまますごすごと森の奥へと逃げて行ってしまった。



「ふひゃぁぁぁ〜〜……じゅ、寿命が縮んだ……」
 周囲にゴブリンたちが完全にいなくなったのを確かめると、緊張から解放された全身から一気に力が抜け落ちる。木棍を杖代わりにして何とか崩れ落ちないようにするのが精一杯だった。
 未熟な技に未熟な戦術。相手がゴブリンだったから凌げたようなものだけど……あ、勝ちは勝ち。頑張れば出来るもんだ。
 以前から戦闘のたびに感じる違和感……まるで戦闘の経験があるかのように動けてしまうのも、今では十分自分自身の動きになっている。これなら旅に出ても、自分の身は十分に守れるかもしれない。
「ジェルもお疲れ様……さ、戻っていいわよ」
 長く息を吐いて多少落ち着くと、開いた手の平を上に向けて足元へ差し出す。すると、透明なスライムは弱く輝きを放ち、小さな玉になってあたしの手の中に納まった。
 あたしがこれからの頼れる能力は自分の力と、この魔物を操れる能力だ。……だけど、強いモンスターと契約するのは………う〜ん……問題山積みよね。
 今いる場所から空き地まではそう離れていない。なら考え事をしながらでも迷う事は無いと歩き出すと、あたしは手の平に転がる魔封玉へと目を落とした。
 ポーチからも取り出して、魔封玉の数は合計二つ。一つは先ほど一緒に戦ってくれたスライムのジェルが封印されている玉であり、もう一つの大きめの玉はあたしが戦った霧状の身体をした大蜘蛛が封印されている魔封玉だ。
 これは檻だと、魔王の書は言っていた。
 モンスターの存在を縮小化して契約者の命令以外では外に出れなくする「世界」が作り出した極小サイズの強固な結界だと。モンスターにしてみれば自由を奪われるので檻と言う言い方は正しいと思う。
 もし、この小さな「檻」から大蜘蛛を開放したら……その強さはジェルよりもさらに強力だ。だけどその強さと恐さをこの身で思い知らされているだけに、開放するのは躊躇ってしまう。
「………ま、危なくなったら使えばいっか」
 こう言うのは、持っているのは持ってないより何倍もマシだ。危ないと思えば使わなければいい。もうダメだ……そう思える時用の切り札として持っておけばいい。
「あ、そうだ。いっその事、ゴブリンたちと契約を……ダメよねぇ…絶対エッチな事されるし……」
 仲間に出来るモンスターは一匹でも多い方がいい。けれど、必ず絶対十割の確立でエッチな事を要求してくるであろうゴブリンと契約するのはイヤだ。相手の要求を呑んであげれば契約できるのだから、できれば格好よくて強そうなのがいい。複数のゴブリンに輪姦されて、契約できるのがあたしより弱いのって……目も当てられない。
 ともあれ、今すぐには必要の無くなった魔封玉をベルトに通したポーチにしまい、元いた空き地へ戻る。
 最初に倒したゴブリンも消えていた。また戦わなくてもいい事を知って安堵するけれど、うつぶせになって倒れ伏してる弘二が残っている。……できれば放っときたい。けど見捨ててしまうのも可哀想なので、あたしはそちらへと近づくことにした。


第八章「襲撃」03へ