第七章「不幸」05


 いつまでも人の多いロビーで大声をあげられても困る。
 ただでさえ男女があれしてこれする場所なのだ。こんなに可愛い子が今にも溢れんばかりに涙を浮かべて受付に詰め寄ったりすれば、当然の如く何事かと人の視線も集まってしまう。
 とりあえず事情を聞こう……いささか興奮気味の彼女――綾乃ちゃんをなだめ、あたしも通された一階奥の受付へと連れてくると、受付を変わってもらったミッちゃんと休憩中で暇だったあたしが話をする事となった。
「えっと……綾乃ちゃん、だっけ。よければ、うちで働きたいって言う理由とか教えてくれるとありがたいんだけど」
「……………」
「見たところお金に困ってる様でもないし、娼館に飛び込みで来るなんて思えないのよ。うちとしても訳ありなら訳ありで事前に事情を把握しておきたいし、そうじゃないとギルドの上のほうがうるさくてさぁ」
「……………」
 ――さっきからこんな調子だ。とても娼館で働くとは思えない、いい意味でお嬢様のような感じのする綾乃ちゃんは赤らめた顔を俯かせて服の裾を握り締め、あの手この手と話し方を変えて話を引き出そうとしているミッちゃんを前にしてずっと沈黙を保っている。
 ―――と、話している相手を言いくるめるのは得意なミッちゃんだけど、何も喋ってくれない相手ではその勢いは全て空回り。テーブルを挟んで綾乃ちゃんと向かい合って座り、記入用紙をペン先でコンコンと突っついていたミッちゃんはよほど返事の返ってこないやり取りに参ってしまったらしく、
「はぁ……ルーミット、ちょっと交代…何も話してくれないから精神的に重くてキツくて……」
 傍らで事の推移を傍観していたあたしへ泣きついてきた。
 ………あたしとしても、綾乃ちゃんとは話をしてみたかった。アルバイト状態のあたしが新人採用に首を突っ込むのも気が引けるけど、この子がどうしてここに来たのかも気になってたところだし。
 思い当たる事は、ある。けど、それを単刀直入に聞いてしまってもよいものかどうか……
「えっと……」
「……………」
 なんていうか……いじめてるわけじゃないんだけど、困った顔をしている女の子を前にすると、あたしの方が悪いことしているような気分になってくるな……
 とは言え、ずっとこのままでいるわけにもいかない。可哀想な気もするけど……訊いてみようかな。
「ねぇ…昨日まで、ちょっと離れたところの屋外喫茶で働いてたよね」
 あたしがそう言うと、綾乃ちゃんの肩が小さく震える。――脈あり、のようだけど「個人の事情に突っ込みすぎ!」って言っているミッちゃんの視線が痛い……
「えっと、あたしも行った事があるんだけど見覚えない?」
 視線を上げ、愛想笑いを浮かべるあたしの顔を見つめ、
「………すみません」
「ああ、いいのいいの。ここって認識阻害とか言う魔法がかかってるから外で会っても分からないかと思うし」
 申し訳なさそうにさらに頭を沈める綾乃ちゃんを手で制す。
 けど、これで彼女があのお店のウエイトレスだったことがはっきりしたわけだ。そしてウエイトレスを辞めて娼館に来る……その理由に心当たり……あったりする。娼婦になろうとする理由のほとんどがお金とエッチだって、さっき聞いたばかりだし。―――ならこのまま黙って向き合ってるよりも、推理力を働かせて核心を突いてみるのも一つの手か。
「あのさ、言いたくないんなら答えてくれなくていいからね」
 そう前置きをし、
「今日もあのお店に行ったんだけど…近くの並木が一本、傾いてたの。それにテーブルが何個か壊れてて…もしかして、ここに来たのってそれの弁償代を稼ぐためとか、そういうことなのかな」
「あっ……」
 どうやら…かなり当てずっぽうで言った推論が当たったらしい。綾乃ちゃんは小さく驚きの表情を作り、口元を手で押さえた。
「よかったらさ、詳しい事情を話してくれないかな。あたしはほら、当事者とかじゃないんだけど相談ぐらいには乗れると思うし。あ、でも、あたしみたいに娼婦やってるようなのじゃ信用なんか出来ないかな」
「そ…そんなことは……ほ、本日は、お日柄もよくて、あの、私の突然の、えっと、えっと……」
「………もしかして、緊張してただけ?」
「い、いえ、お、お申し出は大変嬉しくて、私、上手くいえないんですけど、あの、う…嬉しかったです……ありがとう…ございます……」
 確かにそりゃまあ、いきなり華やかなロビーから薄暗い事務室に連れ込まれたら結構恐いかも……とりあえず、これで話の切り口は掴めたわけだけど、
「それでさ、綾乃ちゃんの事情、聞かせてくれるかな?」
「は……はい………」
 まだ怯えの残る声だけど、綾乃ちゃんがちゃんと返事を返してくれた事がなぜかちょっぴり嬉しかったりする。
「実は……私、この街へは神学の勉強のために来ているんです」
「ふむふむ」
「家の方は代々魔法使いで、神性系の魔法は扱ってなかったんですけど……その…ちょっとした事情がありまして、回復系の、主に解呪の勉強をしているんです……」
「解呪? 出来ればその辺りの事をもう少し詳しく……」
「解呪と言っても、私が勉強しているのは先天的に体に現れる…その……呪いの一部を消したいと……」
「それでそれで? そんな方法あるの?」
「こらこら、なんか聞くべき事がずれちゃいない?」
 ………はっ!? いけない…最近呪いを解く方法がどうとか言うのに敏感だな……
 ミッちゃんの指摘で我に帰ると、向かいに座る綾乃ちゃんもかなり困った表情を浮かべていた。
 自分の事情はどうあれ、他の人にまでいきなり問い詰めたりして迷惑をかけたことに反省していると、
「それでさ、魔法使いの家柄なら当然魔法扱えるんでしょ?」
 入れ替わるように家庭事情に首を突っ込むお人が一人。
「こらこらこら、さっき自分が言った事をきっぱり忘れて何を聞いてるのよ」
 こういうときは容赦なし。あたしは左右の拳でミッちゃんのこめかみを挟むとグリグリと捻りを加えて押し込んだ。
「いたたたたたたたたぁ!! ちょっと、タンマ、たくや君タンマぁぁぁぁ!!!」
「タンマなし」
「あ〜ん、この薄情ものおぉぉぉ!! 魔法が使えたら色んな職場があるじゃん、だから、って、あ―――――――――ッッッ!!!」
 ………とりあえず、これで上前をはねる悪は滅びた。いい事したね、あたし。
「さて、そこでうずくまってる人は無視して話の続きをしよっか」
「い…いいんですか? ものすごく痛がってるみたいですけど……」
「いいからいいから。たまには人の痛みを身をもって知らないと、調子に乗る一方っぽいから」
「はぁ……」
「だから綾乃ちゃんも回復魔法掛けたりしなくていいからね」
「あ…いえ、違うんです。勉強はしてますけど…私、魔法は……」
「そうなの?」
 あたしのいたアイハラン村は村民のうち、たった一人を除いて全員がなにがしかの魔法を使えていた。――こっちの方が特別な状況なのであり、通常はほとんどの人が魔法を使うことはできない。魔力の量とか魔導式の生成とか様々な要因を満たして初めて魔法が使えるわけだ。
 けれど魔法使いの一族ともなると、遺伝的に魔力も高いだろうし、留学にくるぐらいなら子供の頃から教育を受けているエリートのはず。畑違いでも勉強しているなら神聖魔法の基礎であるヒーリングくらいなら使えると思うんだけど……
「あまり……人前では見せないんですけど……」
 疑問に思うあたしの前で綾乃ちゃんが両手をかざす。そして低く小さな声で呪文を唱え始める。
 聞き覚えがある魔法だ。ライティング……明かりを生み出す超が付くほど簡単な魔法だ。
「―――えい、ライティング!」
 かわいい掛け声と共に、真剣な顔つきをした綾乃ちゃんが両手に力を込める。そして両手の間に蛍のような小さな明かりが生まれ…………………あ、消えた。
「え…えっと……」
「これが…精一杯なんです……」
「そ、そうなんだ……ははは……」
 コメントがしづらい……「どうですか?」と言う感じで純真な瞳に見つめられてるんだけど……口が裂けても「え、これだけ? もっとパァって光らないの?」なんて言えないし、「大成功! 綾乃ちゃん、やったね!」なんて言おうものならウソが見え見えで逆に傷つけてしまいそうだし……
「………とりあえず、要練習ってところかな」
 ああ、お茶を濁すような台詞が思い浮かばなかったぁ! ええい、こうなったら!
「呪文は丁寧だけど長すぎよね。魔導式は上手くできてるみたいだから、きっと魔力が足りてないんじゃないかな。けどライティングなら――」
 偉そうに言ってるけど、あたしなんか何百何千と試してみてもピカッとも光ったことがない。ある意味、ちょっぴり綾乃ちゃんがうらやましいんだけど……なぜか綾乃ちゃんの方が、尊敬の眼差しをあたしに向けてるのは何ででしょうか?
「あの、ルーミットさんは魔法の事にお詳しいんですか?」
「詳しいって言うか…アイハラン村出身ってだけで――」
「アイハラン村ってあの有名な? うわぁ、それで魔法の事にお詳しいんですね」
 魔法は使えないんです…その言葉を言わせてくれないし……
「詳しいって言っても、こんなの感覚的なものだし。ほら、要は慣れよ慣れ。だから別に――」
「すごいです。他人の魔導式を感知するなんて、そう簡単な事じゃないのに……尊敬してしまいます」
「だから違うの。あたしは魔法は―――」
「もしよろしければ私に魔法の事を教えてくださいませんか? 父には才能がないと見限られてしまったんですけど、私は魔法を使えるようになって大勢の人たちのお役に立ちたいんです。お願いします、お願いします!」
「いや、あのね、だからさぁ―――!」
 あたしは魔法が使えないんだってば〜〜!……その一言が何で言えずに誤解だけが拡大して行くのよぉ〜〜〜!!
 椅子から腰を浮かし、うかつにもテーブルに置いていたあたしの手を握って話さない綾乃ちゃん。その真剣な思いには答えてあげたいんだけど……ほら、あたしってば魔法が使えないし。
「いいわよ。ただし、ルーミットはうちの娼婦なんだから、あなたも娼婦にならなくちゃね」
「こらあああああっ! なに勝手に話を進めてんのよ、このミッちゃん!!!」
「はい。私に出来る事でしたら、一生懸命頑張ります」
「綾乃ちゃんももうちょっと返事は考えて! 今、ものすごく大事な人生の決断をしちゃったんだからぁ!!」
「私もそう思います。だって、初めて魔法を教えてくださる先生が出来たんですから」
 だ〜か〜ら〜〜〜…そういう事を笑顔で言っちゃダメェ〜〜〜! なんかあたし、これじゃ断れなくなってきちゃうじゃないの!!
 もはや事態はあたしを巻き込みながらもあたしがどうこう言えるものではなくなっていた。―――しょうがない、基礎中の基礎だけ教えて後はごまかそう。よし、神官長辺りに丸投げすれば、綾乃ちゃんは可愛いし邪険にはしないだろう。結構人畜無害そうだし。
「あ…そういえば……」
 ようやく手を離し、恥ずかしそうに席に座り直して居住まいを正した綾乃ちゃんは赤らめた顔を下に向け、視線だけをチラチラ上げて、
「いまさらこのような事を聞くのは失礼だと思うのですが……「ショウフ」って、どのようなお仕事なんですか?」
 ……………正直、綾乃ちゃんにそれを説明するのが一番難解かつ強烈な問題だった。




 いい、だからね――
「えっ…し、信じられません……」
 まだまだ。それから――
「う……うそ……そんなことが許されるなんて……」
 そして、恥じらいもなく――
「か、神様…綾乃がいけない子でした。ですから…ですから……!」
 ダメよ、そこは大事な場所で――
「許して…助けてください……」
 そして最後には男と女の最終兵器…○×△―――!!!
「ひっ…いやぁ………!!!」
「………調子の乗ってるところ悪いんだけど、ミッちゃん? さっきから娼婦や娼館の説明と言うより、綾乃ちゃんを恐がらせて遊んでるようにしか見えないんだけど?」
 なにやらトドメの一撃で綾乃ちゃんに悲鳴を上げさせたミッちゃんの肩に手を置く。
 やるべき事は娼館や娼婦の説明だったはずだ。……それがいつしか、そういった経験のない良家出身のお嬢様にはショッキングかつエキサイティングすぎる内容になっていたのはいつからだろうか?
 ………まぁ、あたしが説明したら、ずいぶんと偏った内容になってたかもしれないし……なにしろ、最初っから現在まで進行形で得意なアレが多いから……
「うん。だってそうだもん。ルーミットもそうだけど、何も知らない子を恥ずかしがらせるのは精神的な人生スパイスって感じよね♪」
「………い・い・か・げ・ん・に・し・な・さ・い!」
「あ〜ん、梅干はイヤ〜〜〜!!! スパイスの刺激が強すぎる〜〜〜〜!!!」
 一言一言に力を込めながらグリグリこめかみを左右から抉る。―――まあ、痛がるミッちゃんはさておくとして。問題は放心しているのか恥ずかしがってるのか泣きそうなのか分からない表情でぐずっている綾乃ちゃんのほうだ。
 ちょっとした刺激で涙が決壊してしまいそうだけど……ともあれ、娼婦と言うのがどういうものかは理解してくれたはずだ。綾乃ちゃんには無理、そういうものだと。
「綾乃ちゃん……あのさ、綾乃ちゃんみたいな子が娼婦なんてやっちゃダメだって。そりゃ、見かけとかで出来る出来ないを判断するのはいけないと思うけど、その…………まだ、なんでしょ?」
 まだ、と言うのは「ご両親の了解は?」と言う意味じゃなく、男と女であーしてこーして…つまり、処女なのか、と聞いているのだ。
「――――――――――」
 答える綾乃ちゃんは、開いたら叫んでしまいそうな唇を引き結んだまま、コクッと、恥ずかしそうに頷いた。――予想通り、と言うところか。もしあったらあったで、今度はあたしが人間不信に陥りそうだし。
「最終的に決めるのは綾乃ちゃんだけど、やっぱり女の子なんだから、そういうのは大事にした方が……ほら、物語とかだと、好きな人とか」
「元男のたくや君としては結婚するまで処女なのが理想なの? いやん、独占的ね〜〜♪」
「ええい、人の名前をしれっと晒すような減らず口を叩けないようにしてやるわ〜〜〜〜!!」
「あ〜〜、あ〜〜〜、あ〜〜〜〜――――――ッッッ!!!」
「え……ルーミットさん、男の……えっ…冗談ですよね………え?」
「と、ともかく! 綾乃ちゃんは娼婦なんてしちゃダメ! エッチなのもダメ! お金目当てでこんな仕事をしたら、将来絶対後悔するからやっちゃダメ、いいわね!!」
「そ…そんなの困ります!」
 右手の人差し指を立て、「いいわね!」とダメ押しするより早く、綾乃ちゃんはまだ涙の後が残っている顔に真剣な表情を浮かべてあたしの方へと身を乗り出す。
「私……お金がいるんです。私が悪いんだから……ちゃんと弁償しないと……」
「………わかった。それじゃあこうしましょ。あたしがお金を貸してあげる」
 不幸な目に会うのはあたし一人で十分だし、綾乃ちゃんのような子が同じ目に会うなんて……なんとなく耐えられそうにない。人事だと言い捨てられればいいんだけど、そんな薄情な世の中にあたしはまだ慣れきっていない、と言うか慣れるつもりも浸るつもりもない。甘いのは十分わかっているつもりだけど……だからって、放ってしまう事なんてあたしには―――
「ふ〜ん、たくや君ってやっぱりハーレム願望があるのね。可愛い女の子はみんな僕が助けいたたたたたぁ〜〜〜〜〜!!!」
「まだ、言う、かあっ!!」
 ゴリッと、一際強くえぐってトドメを刺す。―――これで復活したらミッちゃんは不死身か!? と驚いてあげる事にしよう。
「……ともかく、弁償するのってテーブル二つに並木が一本でしょ? それなら、まぁなんとかなると思うから。それに気も折れたって訳じゃないんだし」
「いえ……あの…お申し出は嬉しいんですけど……あれだけじゃ…ないんです……そんな金額、やっぱりお借りするのは……」
「じゃあとりあえずいくら必要なのか言ってみてよ。金額聞かずにあれこれ考えるのも妙な話だし」
「あの………言いにくいんですけど……これだけ……」
 初対面――あたしの方からすれば二度目だけども――の人間からお金を借りることに恐縮しているのか、おずおずと上がっていく綾乃ちゃんの指……その数、一本。
 100ゴールド……と言うのはいくらなんでも少なすぎるか。ある程度まとまったお金が欲しくて娼館に来たんだから、1000ゴールド…………まぁ、ない、とは言えないけれど……
「もしかして……一万ゴールド?」
 大目のつもりで言ったんだけど……その一回目の答えで綾乃ちゃんはこくりと頷いてしまった。
「あの時……いきなり馬車を引いていた馬が二頭、私の横を通り過ぎたときに暴れ出して……とっさに障壁の魔法を使ったんです。お客様もいましたし、私、精一杯守ろうって……でも発動するなんて、私も思っていなかったんです。だけど、偶然上手く障壁が発動して…そのせいでお馬さんが怪我をして…引いていた馬車も木にぶつかってしまって……」
「そ、そんなの綾乃ちゃんは悪くないじゃない!」
「ですが……私の魔法が上手くいったせいでお馬さんが怪我をしちゃったわけですし……」
「街中で馬車になんか乗ってる方が悪い! それに一万ゴールド請求されるような馬車なら当然御者だっていたわけでしょ? 屋根つきでしょ? 相手お金持ちでしょ? だったら払う必要なんてないわよ、金貨百枚!」
 だ、だめだ……先日の金貨百枚がまだ頭の奥でくすぶってる……落ち着け、アレはもう終わったことなんだし、すっかり忘れれてしまっちゃえっ!!
「でも……私が魔法を使ったのがいけなかったのは事実なんです。もしかしたら、誰かにぶつかる前に御者の人が馬をなだめていたかもしれませんし…それに、誰も怪我しない方法がなにか――」
「あるわけないでしょ!」
 〜〜〜〜――――ッ! しまった、興奮しすぎて怒鳴っちゃった。
 慌てて口をつぐんで両手で押さえつけたけれどもう遅い。放たれた声はもう既に綾乃ちゃんにまで届いていてしまっていて、彼女の涙腺を思いっきり刺激してしまっている。今にもこぼれ落ちそうなほどあふれ出した涙を目にして罪悪感に胸が痛みはするけれど……ごめん、あたしは謝れない。
「綾乃ちゃん……綾乃ちゃんが言ってるのは全部理想でしかないの。もしかしたら…とか、でも…とか、そんな事を言い出したら何にもできなくなっちゃうじゃない」
「た、たくや君も…よく言ってる気がしないかな……」
「うわ、ミッちゃんが復活した。スゴいスゴい。―――で、もう一回トドメをくらってみる?」
「いえ……私が悪ぅございました……」
 よろしい、とミッちゃんが静観するのを確かめてから綾乃ちゃんへと視線を戻すと、
「その時、魔法を使おうとするのが綾乃ちゃんの一生懸命だったんだよね?」
「他に…方法が……思いつかなくて……」
「だったらそれでいいじゃない。一生懸命、その時できる最善の方法で綾乃ちゃんはみんなを助けようとしたんでしょ? だったら間違ってない! 綾乃ちゃんは間違ってなんかない!」
「ルーミット…さん……ありがとうございます……」
 綾乃ちゃんの頬を、一筋の涙が伝い落ちる。けれどそれは、笑みを形作った瞳から零れ落ちた涙だ。
 うん、やっぱり綾乃ちゃんには笑顔が似合ってる。……そんな事を思いながら、先ほどミッちゃんに言われたハーレム願望と言う言葉が頭をよぎる。
「……………」
 うっ……意識し出したら、なんか自分が本当にそんな淫らな欲望を抱いているように思えてきた。静香さんともしちゃったし、ジャスミンさんとも……ま、まだハーレムって呼べるほどの人数の女性とそういうことしてるわけじゃないし、あくまで今回は親切心で―――
「あの……ルーミットさん、ありがとうございます。私……あんな事を言われたのは初めてで、最初は混乱してしまいましたけど……うれしかったです」
「うっ……やっ、そ、それはよかったと言うかちょっぴり困ってどうしようかと言うか……」
「?」
 ああ、そんな純真な目で見ないでぇ〜〜! 今のあたしは穢れてるんです、違うの、実は女でも魔法使いでもいい人でもないんだからぁ!!
 こんな状況を打破する……もとい、余計な一言で雰囲気を壊しそうなミッちゃんは、先ほどのあたしとの約束を守って沈黙を保ったままだ。その顔にはニヤニヤと笑みを浮かべているのはしっかり覚えておいて、後日お昼ご飯を奢ってもらう事にする。
「と、ともかく落ち着こう、す〜は〜、す〜は〜、す〜は〜……あ〜ん、なんかダメぇ〜〜〜!!!」
「ル、ルーミットさん?」
 突然規制を上げて頭を抱えるあたしへ不思議そうに綾乃ちゃんが視線を向ける。だが、その視線に晒されている限り、なんていうかこう…抗いがたい衝動に突き動かされて、あたしは頭を抱え込み続ける事になるんですけど……だからそんな目で見ないで〜〜〜!!
 あたしってば時々奇声を上げないとお腹が減って動けなくなっちゃう病だから気にしないでね♪……なんていういいわけパターンが、悶絶する脳内で三つぐらい出来上がったときだ。……神様は地味にあたしの事を見捨てたりはしていなかったようだ。
「あの…よろしいですか?」
 事務室に女の子が入ってくる。――女の子といっても、年のころは綾乃ちゃんと同じぐらい。けれど服装はあたしのものに似た娼婦用の肌が露出した衣装を身にまとっている。面識があるわけではないけれど、この子も娼婦なのだろう。
「ん〜、今いいところだから、もうちょっと待ってね。ルーミットってば本当に面白いんだから」
 ミッちゃんのいいように腹が立つけど……よし、ちょっとは収まってきた。大丈夫、やましい事なんてない…あたしは潔白……うん!
「いえ、あの……ルーミットさんに、お客様が来てるんですけど……」
「……あたしに?」
 胸の動機を無理やり抑えながら体を起こしたところへの来客の知らせ。――けど、娼婦の女の子の言い方が変だ。ここから見えるはずのないロビーの方向をチラチラと見、何か心配するような表情にあたしの中で言いようのない不安がこみ上げる。
「そのお客って……誰?」
 つい疑問が口をつく。相手が誰でもロビーに行けば出会えるのだから、聞いても聞かなくてもいいはずだ。けれど、胸の不安を打ち消したい気持ちが、一秒でも早く相手が誰なのかを知りたがっていた。
「この前来た人です。メガネをかけて、ちょっとキザっぽくて……変な喋り方をして、あんまりいい印象じゃないんですけど」
「それって……」
 間違いなく、佐野だ。あんな事をしておいて店に再び来ることに、あたしの胸で静かに怒りが沸きあがる。けど――
「もしかして……私、その人を知ってるかも……」
 綾乃ちゃんのその一言が、なんとなくだったイヤな予感をより確実なものへと変えていくのであった……


第七章「不幸」06へ