第二章「契約」裏1


 ―――焚き火の炎が赤く、パチパチとはぜる音を不規則に奏でながら燃え上がる。  日はとうに暮れた。木の根元に座り込んだあたしはマントを体に巻きつけ眠りを取ろうとしている……  今日は疲れた。……今まで村から出る事はあっても、一日中歩き続けた経験など無かった。だから体力の配分 も分からずに歩いてしまい、足首のあたりは力が入らないほど疲れが溜まっていた。まして、モンスターとの戦 闘もあったのだ。初日にしては結構ハードじゃないかな、と思ったり。  それに初めての野宿――あたたかいベッドではなく、木の根を枕に、薄いマントを毛布代わりに眠ろうとして いることも寝つけない原因の一つだろう。  けれど、それなら瞼を閉じていればいつか深い闇のそこへと意識は沈んでいったはずだった。全身にわだかま っている疲れはそれほどまでに重く、未だ慣れない女の体はそのまま横へと倒れこんでしまいそう……なんだけ れど、あたしの体は疲れ以外に、もう一つの苦痛に苛まれていて、それが眠ろうとする意識を無理矢理目覚めさ せてしまうのだ。それは――  グゥゥ……キュルルルル……グルッ…… 「ううう…お腹減ったよぉ……ひもじいよぉ……」  ああ……あのバカ剣士のおかげであたしの食料全部ダメになっちゃって……朝からなんにも食べてないのにぃ 〜〜……  昨晩の野犬の襲撃から逃れた隊商は、怪我人の手当てなどに追われてあたしが出発する頃になっても食事をと らなかった。何から何までお世話になりっぱなしだったのに「ご飯を食べさせてください…」なんて言える雰囲気 でもなく、成り行きとはいえ旅に出る事へのちょっとした期待感にあたしも空腹など忘れ去っていた。  けれど本当なら水浴びの後に背負い袋に入っていた携帯食料で昼食を取れるはずだったんだけど、乾パンの箱 は川に流され、干し肉の塊は大きなスライムが潜む川の底。旅をするのに一番大切な食料は弘二と名乗った剣士 のおかげで一口も食べることなく……  他にも油の瓶は割れるし、タオルや衣服も泥まみれ。頭に来たあたしは無事な荷物をさっさとまとめると、頭 を振りながら起きあがって追いかけてこようとする弘二に「だいっきらいっ、付いて来ないで!」と言って立ち去 ってしまった。  ………ちょっと言いすぎたかな。悪いのはあいつじゃなかったんだし……魔物に命令するときはなるべく詳し くしないといけないんだなぁ……  ジェル――昼間にあたしと契約を交わし、下僕となった小さなスライムの名前――は今、背負い袋のポケット に「魔封玉」と言う小さな玉に封じてしまってある。なんでも玉自体が世界のシステムがどうとか…魔王の本に説 明してもらったけど詳しくは分からなかったので、とりあえず契約した魔物はおはじき程度の大きさの綺麗な玉 に封じて目立たないように持ち運べる、強力な魔物は無理、その二点だけ理解した。  そしてその事を説明してくれた黒い本も今は背負い袋の中で熟睡中――本がどうして眠れるかはともかくとし て、お腹減らないって言うのが今はうらやましい……  ―――キュルルルル  なんで森の中なのに木の実一つなってないのよ……  迷わないように街道沿いの森には言っても食べれそうなものの収穫は無し。だって狩人じゃないし、簡単に獲 物を捕らえて食事にありつけるはずも無い。これが魚釣りなら何とかなったんだけど……  ―――ギュルルルル 「はぁ……なんでもいいから…ご飯…食べたいよぉ……」  お腹の音はますます大きくなり、蓄積した疲れと解消されない眠気と空腹であたしの精神は最早ぷっつりと切 れる寸前。その後は叫ぶか泣くか……ああ、あたしこの先どうなっちゃうんだろう……  冒険の旅に出て一日目にしてお先真っ暗、ああ…涙で焚き火が歪んで見えちゃう…なんて落ち込んでいたその 時だ。  ―――がさがさがさ 「んっ?……なに、またモンスター!?」  昼間にあんな目に会えばそれなりに警戒もする。あたしは傍らにおいていたナイフの鞘を掴み上げると、草が 鳴った方へと視線を向ける。――と、 「いや〜、チョイとお邪魔するよ」 「まさかこんな森の中でキャンプしてる人がいるなんてね」 「―――へっ? い、いったいなに!?」  暗闇から現れたのは中年男の二人組みだった。一人は痩せ型、もう一人は少し小太り。しかも名乗りをするわ けでも無くあたしがいる事に驚くでもなく、ずかずかあたしの前にやってくると図々しくあたしが苦労して起こ した焚き火の前に陣取った。  この二人……商人?  二人の姿はあたしには見慣れた行商人のものだ。こんなところで同業者、しかも梅さんに助けられていたこと もあって、あたしが気を緩めてしまうと―― 「さて、そこのお姉さん。早速だけど何か道具を買っていかないか?」  うわ〜、やっぱり旅の道具屋さんだ〜〜! 「俺は重(しげ)、こっちの太っちょは松(まつ)。こんな森の中であったのも何かの縁。お安くするからなんか買 っていってよ」 「これを飲めば一発回復、体力回復薬の大定番のポーションは15G、夜のお供用のは12Gだ。傷の治療用の 軟膏はシップ型が20Gで、南部の端の今なお残るシャーマンの一族が真心込めて練り上げた軟膏は出血サービ ス100G!」 「あ、いえ、あたしは……」 「さぁさぁ、どれを取ってもお得だよ。お嬢ちゃんも見たとこ冒険者だ。薬係はいくら持ってても邪魔にはなら ないだろ。今なら水の神様のありがた〜いご利益がこもったお守りも付けちゃうよ!」 「ていうか値段高いんじゃない? ポーションは定価5Gでしょ」 「か〜〜! お嬢ちゃん、厳しいとこを突くねぇ。まぁそれは旅先まで運んできた苦労料だと思ってよ。てなわ けでポーション、大まけにまけて13G、これでどうだい!?」 「まだ高い! そんな値段で買うならフジエーダの街で二本買ったほうがいいわ。せめて6G!」 「おいおい、もしかしてお嬢ちゃんはプロのまけ師か!? そんなにまけたら俺達干上がっちまうよ」 「ポーションの瓶を割らずに運ぶのって結構繊細な重労働なんだぜ。だから12! ここいらが限界だ!」 「ちょっとちょっと、ポーションの瓶が一本二本割れたからってどれだけの損失なのよ。原価は2Gか3Gでし ょ。7G! これ以上で買わせるんなら詐欺で訴えてやるんだからね」 「もしかして同業者か!? う〜ん…せめて9G! これがもう本当にギリギリのギリギリ!」 「これ以上まけたら俺たち行商人で食って行けないよ。な、ここいらで手打ちと行こう、お守りつけるからさぁ」 「そうね……街以外で買えるんだからその程度が妥当かな」 「よっし、ポーション一本お買い上――」 「あ、そうそう。あたしお金もってないから」 「「ちょっと待ていっ! だったら値切るな!!」」 「――ほ〜、見ず知らずの男に食料全部ダメにされたって?」 「うん……それでもうお腹ペコペコで……」 「そいつは可哀想にな。それで金も無いって? こりゃ〜野垂れ死に確定だな」 「うん…だからその〜〜…」 「あ〜、こんな可愛い子がねぇ、世も末だね、ガツガツ」 「あと金稼ぐって言ったら体を売るしかないんじゃないの、ムシャムシャ」 「そ…そう言うんだったらあたしにも食べ物分けてよぉ〜〜」  この二人…重と松と名乗った二人の行商人はお腹が空いて困っていると言うあたしの目の前で、なんとも美味 しそうに携帯食料を食べまくっていた。しかも焚き火に飯盒まで…… 「そろそろ炊けたんじゃないか。――たくやって言ったな。良かったら一緒に食うかい?」 「え、ほんと!?」 「ああ、飯代は10Gだ」 「そんな〜〜……」 「旅先での食料は貴重だからな。誰かさんみたいに無くす事もあるから値段は高いんだぜ」 「うっ……そりゃ無くしたのはあたしの不注意のせいかもしれないけど……だからって別にあたしの前で食べな くてもいいじゃない! なによ、わざわざあたしのいるところに来てさ、勝手に焚き火の前に陣取って!」 「別にここはお前さんの土地じゃあるまい?」 「うっ…で、でも!」 「旅は道連れ世は情け。こんな暗い森の中に女の子が一人でいるから俺達がいっしょにいてやろうってんだ。な、 兄弟!」 「おうよ。文句じゃなくてお礼を言って欲しいぐらいだ」 「……ありがとうございますぅ」 「そうそう。良い事をした跡は気分が良いな〜。はっはっは」 「まぁ、どうしても飯が食いたいんなら体でも差し出せば? は〜はっはっは」  はぁ……この二人に嫌味を言っても聞いてくれない……こんな事になるんだったら娼婦にでもなんにでもなる から梅さんに付いて行けば良かった……くすん。  空腹のときに目の前で美味しそうに食事をされる事ほど頭に来る事は無い。あたしは食事への未練を捨て去る ために大きく溜息をつくと、マントとナイフを手にして立ちあがった。 「おや、どこか行っちゃうの? もう日が暮れたからこれ以上先に進むのは危ないよ」  そう声をかけてきたのは小太りの松のほうだ。こっちは特にたくさん食事をしていた人ので、口の周りに食べ か巣を付けたその顔を見ている内にあたしもつい怒りが湧き上がり、 「寝るの。放っといて!」  声が鋭く大きくなり、森の木々から眠っていた鳥が飛び立つほど周囲に響いてしまう。  それを聞いた二人の商人は陽気な表情を一転させ、もう怒りをつきぬけ怨念と化しそうな空腹を抱えたあたし に愛想笑いを向ける。 「いや、怒らせるつもりじゃなかったんだ。ただ、さっき値切られたときのわだかまりって言うかさ……」 「そうなんだよ。あの時、見事に値切られたからてっきり買ってくれるものだって思ってたけど違っただろ?  それでその仕返しにちょっと……」 「ちょっとどころじゃないわよ! いきなり商品売りつけてくるのは人を怒らせないわけ? 押し売りしといて お金が無いって知ったら嫌がらせするの!? あんたたち、いいかげんにしなさいよねっ!」 「「す…すみません……」」  あたしの迫力に負け、二人の中年は声をそろえて謝る。が、そんなものをフンッと鼻を鳴らして無視したあた しは食べ物が置いてある焚き火から隠れるように木の裏に回りこむ。 「そんなところで眠らなくてもこっちで寝ればいいじゃないか。一人寝は寂しいぞ?」 「いいの。あんた達の顔見てたら怒って眠れないんだから」  それに男がそばにいると警戒しちゃうし……寺田には押し倒されたし、弘二には結婚迫られて…どうしてこう 男って欲望まみれなんだろ。  自分がそんな男の一人だと言うことも忘れ、地面に腰を下ろしたあたしはマントを体に巻きつける。あとは横 になって寝るだけだ。  だがそんなあたしの睡眠行動を妨げるように、今度は重と名乗るほうがあたしに話しかけてくる。 「あ、あのさ、さっきのは本当に冗談なんだよ。ちゃんと君の分も用意してるんだぜ、食事。頼むから気を直し てこっちで食べないか、な?」  ―――キュルルルルル〜〜〜  くぅ〜〜〜…お腹のバカ、もうちょっと我慢しなさいよね!  食事が食べれるとの言葉に素直に反応する腹の虫を声を出さずにしかりつける。そしてそのまま寝ようとする んだけれど……… 「あ〜あ、もったいない。せっかく美人と食事できると思って多めに作ったのになぁ」  うっ…… 「しょうがないだろ。どうせ明日の朝まで持ちやしないんだ。いっそ捨てるか」  あっ…… 「スープにも干し肉を贅沢に入れてあるのになぁ」  や、やめて……もうそれ以上言わないでぇ…… 「飯も炊きすぎた。ちぇ、明日の朝には野犬の飯か。あ〜、もったいないもったいない」  ―――ギュルルルル、ギュルルルルルルルルルルッ  も、もうダメェ! 捨てるぐらいならあたしが食べる!  そうしてあたしはマントを跳ね飛ばすと、絶対に超えまいと決心していた気を回りこんで焚き火の光の当たる 方へと戻って行ってしまった。


第二章「契約」裏2へ