第2章「−1」第4話


「さて、と……」  先輩に捕まってたのは災難だったけど、おかげでずいぶん時間を潰せたわね。お腹も膨れたし。  あたしの記憶の中にある先輩のイメージと異なり、かなり強引にあたしの事(性格にはもう一人のあたし「拓 也」の事)を聞き出され、アクドナルドを出た時には既に日も落ちて、街はすっかり夜の顔へと変貌してしまっ ていた。暗くなった通りにはナンパしてくる男やその人たち相手に「え〜、どうしよっか〜?」って感じで甘い 声を上げる女性たち、さらには仕事帰りでいっぱい飲んだ後のようなオジさんたちの姿が見え始めていた。これ からさらに時間がたてばもっと増えてくるだろうけど、あたしもここにずっといるわけじゃないし。でも……も うちょっと時間潰さないとね。  そんなわけで、あまりきた事のない夜の街をブラブラしたり喫茶店に入ったりして時間を潰したあたしは、夜 の0時ごろに再びマンション前へとやってきた。途中でガラの悪そうな人にナンパされたりお巡りさんに補導さ れそうになって大変だったけど……まぁ、それは置いといて。  一応マンションの裏側に回って部屋に電気がついているか確かめてみると、見上げた四角い窓には明かりが灯 っておらず、既に家族は寝ている事がわかる。  あたしは夜更かしする方なのにね。ゲームを始めちゃうとついつい寝なきゃいけない時間を忘れて没頭しちゃ って……おかげで毎朝明日香に起こしてもらってるんだけどね、ははは……  でも、今夜に限っては「あたし」が早く寝てくれているのは助かる。だって、あたしは今から――自分の家に 進入するんだから。  佐藤先輩には話す事ができず、千里の家もわからないんじゃ、あたしが女にならないために取れる方法は、「 拓也」にそれとなく注意するように教えてしまえばいい。例えば「先輩が薬棚の整理を頼んだときは気をつけて」 とか。  でも家に入ってしまったら、父さんや義母さん、それに夏美もいるし、朝まで待ち伏せしても明日香が一緒だ と話す機会もない。そう思って家族の寝静まった時間を見計らい、こっそりと「拓也」にだけ会いに行こうと思 ったのである。とは言っても―― 「……なんか変な気分よね。自分の家に向かってるだけなのに……」  音が出るかもしれないと思い、階段を使って相原家前へとやってきたあたしは、気分は完全に犯罪者。鍵があ るから入るのは簡単だろうけど、何度も周囲に人がいない事を確認しながら行動し、外からも見られないように 腰を屈めて物陰を移動する様は、我ながら情けない……その一方で、泥棒か、はたまた映画に出てくるよなスパ イのような行動に、悪い事をしていないんだけど微妙な罪悪感が湧き上がってくる。白いブラウスに包まれた胸 の奥では心臓が早鐘のように鼓動し、金属製の鍵を握り締めた手は固く拳を作ってなかなか開いてくれなかった。  お…落ちついて……いざとなったらあたしが拓也だって言う事を説明すればいいだけじゃない。熱に見つかっ ても警察に突き出される事はない……はずよ、うん。  扉の前に立ち、大きな深呼吸を繰り返して少し落ちついてから鍵穴に鍵を差し込もうとするけど、小さく震え る腕はなかなか狙い通りに鍵を差せず、金属製の扉に触れて小さな音を何度も立ててしまう。  落ちついて……もう、震えないでってばぁぁぁ〜〜〜!!  鍵を両手で持っても震えは一向におさまらず、ムキになったあたしは顔を鍵穴に近づけ、息を止めてゆっくり と鍵を突き出し……たっぷり五分以上かけてようやく部屋の中に入ることができた。 「……………はぁぁぁぁ………」  つ…疲れた……泥棒っていっつもこんな事してるの? でも……なんだかドキドキが……  そっと扉を閉めると、それまでの緊張感が一気に解けてしまい、その場に座ってしまいそうなほど体から力が 抜け落ち、耳にまで響くほど心臓の音が大きくなる。新鮮な空気を求める胸をなだめつつ視線を前に向けると、 一つも照明がつけられてなく、部屋を照らす明かりと言えば窓から入ってくるわずかな星の光だけだった。  こんな事ならどこかでペンライトでも買ってくればよかったな……  脱いだ靴を下駄箱の下に押しこんですぐには見つからないようにした後、あたしは目が闇に慣れるよりも早く に歩き始める。慣れ親しんだ家の中で迷うほど広くもないし、ましてや方向音痴でもないあたしは、足音を少し だけやわらげてくれる靴下の存在に感謝しながら、リビングを通り過ぎて自分の部屋の前にたどり着く。  夏美や父さんたちは寝てるのかな……でも確認してる時間もないし、下手に覗いて起こしても面倒だから……  ―――カチャ  まだ鍵を握り締めていた感触の残る右手でドアノブを回すと、ほんの小さな音をわずかに響かせ、あたしの部 屋の扉が開いていく。でも、部屋の中を覗いた途端にそこが本当に自分の部屋なのか?と言う疑念が湧きあがっ てくる。まだ目は暗闇に慣れてはいないけど、なんて言うのか……匂い…そう、部屋の中から流れてくる空気の 匂いを嗅いだ瞬間に、ここがあたしの部屋ではないことを悟る。 「これが…男のあたしの匂いなのね……」  今までそんな事を気にしなかった事に驚いて、呟く。  でも、だからってこんなところにずっとここでくんくんと鼻を鳴らしている暇もない。体を半身にずらして扉 の隙間から室内に滑りこんだあたしは、ちゃんとドアを閉めてからベッドへと近づいていく。そこには……夢に まで見た男のあたしが安らかに………とは言えないわね。上からかぶった布団を蹴り飛ばし、グチャグチャのシ ーツの上で気持ちよさそうに寝息を立てている。その姿に目眩がするほどの情けなさを感じてしまう。  ううう………明日香に毎朝こんなところを見られてるのね……  「他人の振り見て我が振り直せ」どころか「自分の降り見て我が振り直せ」。そんな言葉を思いついてしまう ほどだらしない姿に、何故かふつふつと怒りが湧き上がってきてしまう。  ………そうよ。要はあたし――って言うか「拓也」がもっと男らしかったら女にならなかったんじゃないの?  あたしも女になってから性格が前向きになって、それで明日香と恋人になれたんだし。むむむ……なんとかな らないかな?  寝ているあたし――じゃなくて、もう一人のあたし――あぁ、もう! この際「拓也」って呼ぶわよ! こう やって目の前にいるんだから、こいつはあたしじゃないんだもん、呼び方決めないと頭の中までグチャグチャに なっちゃう! 「うっ…ううぅん……ムニャムニャ……」  ギクッ!?  な…なに?……寝返りを打っただけ?……みたいね……  布団を抱き締めるように寝返った拓也に、心臓がドクンッと大きく跳ねあがり、逃げるように一歩後ろに下が るけど、目を覚ましたわけじゃなく、幸せな夢でも見ているのか、ムニャムニャ言いながら眠り続けている。  ビ、ビックリしたぁ………でも、一度起こさないと話もできないし……  意を決して、何も着ていない、裸の背中を見せている「拓也」の肩に手を置き、軽く揺さぶってみる。 「ねぇ、起きて。ちょっとだけ起きて。ねぇってば」 「むにゃ……明日香…あと五分……」 「あたしは明日香じゃないんだけどな……ははは……」  どんな夢を見ているのかスゴくよく分かってしまい、苦笑が浮かんでしまう。どうせ夢の中で明日香にたっぷ りと―― 「んん……明日香……僕…俺は……」  ――怒られているんだと思っていた。けど、それはあたしの考えが甘かった。  また寝返りを打つ。すると、抱き締めた布団はそのままベッドの反対側に残ったままで、「拓也」の体の全体 があたしの目にしっかりはっきりと映ってしまう。 「きゃっ!?  な、なんでそんなに大きくなってるのよ!?  「拓也」は寝るときに何も着ていない。パンツだって履いてない。そのせいで股間のアレも丸出しになってい るのは覚悟していたけど……今、暗い「拓也」の部屋の中であたしが見ているおチ○チンは天井を向くようにそ そり立っていて、あたしにもついていた事があって見なれているはずなのに、慌てて顔を覆ってしまう隠してし まうほどの「男らしさ」に満ち溢れていた……


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