Gルートその2


 コンコン  管理人の人に見つからないようにこっそり寮内に入ったあたしは、途中より道をせず(寄り道する場所無いし…) に静香さんの部屋にやってきて、小さく扉をノックした。 「静香さん、こんにちは。あたし、たくやだけど…入ってもいいかな?」 「ああ、もう! 何ちんたらやってるのよ! さっさと入りなさいよ!」  ガチャ!  なのに、なぜかあたしに付いてきた蛍ちゃんが横から手を伸ばして、静香さんからの返事が無いのに扉をあけ てしまった! 「な、何してるのよ! 女の子の部屋に入るんだから、ノックして返事してからじゃないとグーで殴られるのよ、 グーで!」 「うわっ、それってひどいわね。で、誰が殴るの?」 「………あたしの義姉」 「それは一般常識じゃないでしょうが。ここにはここのルールって物があるんだからね」 「ルールって…だからって中で着替え中かもしれないし恥ずかしい事してるかもしれないじゃないの! 親しき 中にも礼儀あり、ノックは最低限のマナーなのよ!」 「あの…それよりも入りませんか? 静香さん、あっちで呆れてますよ」  あ、そうだったそうだった。なんだかこの子と話してるとペースに巻きこまれちゃうなぁ……  ここに来るまでに色々と話したんだけど、二人はクラスの中でも浮きがちな静香さんと仲がよく、色々と相談 も受けているらしかった。その話の中にあたしの事もあったらしく、顔も静香さんとそっくりと言う事もあって、 一目で気付いたらしい。 「……いらっしゃい」  廊下側に開いた扉から室内に目を向けると、静香さんは床に敷いたクッションの上に座っていた。部屋の入り 口であたしたちがワーワー言ってるのに、その顔は相変わらず感情が浮かんでおらず、見てるのか見ていないの かよく分からない目でこちらを静かに見つめていた。 「あ、静香さん、こんにちは。ごめんね、いきなり入っちゃって…あはははは」  あたしが蛍ちゃんを押しのけながら静香さんに軽く頭を下げると、ジッとしていた彼女は首を左右に振り、再 び動かなくなった。  これって、気にしてないって言う事なのかな? やっぱり、もうちょっと喋って欲しいなぁ…… 「なんだか今日の静香さんって嬉しそうですね」  ………えっ、そうなの!? あたしにはいつもと同じように見えるんだけど………う〜む……  一歩後ろに引いていた未歩ちゃんの言葉に能面みたいな静香さんの顔を改めて凝視してみる。  いつもと違うところ…いつもと違うところ……唇の端がちょっとだけ上がってるのかな? それとも目の端が 緩んでるとか、目蓋の開き方が……むぅ……あ、服が円山聖心女学院の制服じゃない。でも、感情だから……う 〜ん…… 「入り口塞いで何してるのよ。ほら、さっさと入った入った!」  ドンッ 「きゃっ!?」  間違い探しをしているかのように真剣になってどの辺りが嬉しそうなのかを探していたあたしの背中を蛍ちゃ んに両手で押しこまれ、ようやくあたしは静香さんの部屋へ足を踏み込む事になった。 「……………」 「あの……静香さん?」 「……………」  お…お願いだから何か喋って……  二人っきりになると、はっきり言って間が持たない……今日は静香さんの身代わりになる予定できたんだけど、 立ち上がって着替え始めようとする気配もない。どうしたんだろう……と思っていると、 「そこ、座って」  静香さんは小さく呟いて、自分が座っているのとは別のクッションを指差した。 「早く座りなさいって。静香の横でいいわよね。はい、座って座って」 「静香さん、お邪魔します。お菓子とジュースを買ってきたよ。コップやお皿も買ってきたから」 「ちょ…ちょっと待ってよ! なんで二人も入ってきてるの!?」 「いいからいいから。で、飲み物は何がいい? オレンジ? それとも炭酸の方がいいかな?」  まるでそれが当然のように座りこんだ蛍ちゃんとあたしと静香さんに会釈してから正座した未歩ちゃんは、抱 えていた袋から1.5リットルのペットボトルを取り出すと、袋の口を下に向けて中身を床の上にばら撒けた。す ると白い袋の中から色とりどりのお菓子が転がり出てきた。  おおっ! チョコレートにポテトチップス、ポッチーにクッキーに……あああ………  その光景を目にした直後、あたしの口の中に唾液が大量に溢れ出してきた。唇からこぼれそうになる前に喉を 鳴らして飲みこむけど、最近まったく口にしていないお菓子の数々を目にした育ち盛り(?)の体は俄然食欲旺盛 になり、とある生理現象を起こしてしまう。  グゥ〜〜〜…キュルルルル…… 「ア…アウ……」 「なに? ひょっとして今のお腹の音?」 「け、蛍ちゃん、そう言うのは分かってても黙っててあげるもんだよぉ!」 「……………」  静香さんだけは無反応だったけど、それでもしっかりあたしの方を見つめている………あうう…恥ずかしい… …街で飲食店の誘惑を振り切ってきたのに………  我慢してきたからの大音量だったんだろうけど、それだけに女の子三人に聞かれてしまった事は恥ずかしく、 急速に顔が熱くなるのを感じながら、あたしは俯いたまま床に座りこんだ。 「気にしないで。お腹が空いているなら、いっぱい食べていいから」  うっ…静香さんの心遣いはありがたいんだけど……あぁ……ポッチーが…苺大福が…チョコが…ポテチが…お 煎餅が…100円羊羹が……  まるであたしに食べろと言わんばかりに蛍ちゃんと未歩ちゃんが開けていくお菓子の袋を見ながら、涎は次々 と溢れ出してくる。その光景に目が釘付けになり、今にも手を伸ばしそうになるんだけど、脳裏にちらつく明日 香の顔が……それに、今まで頑張ってダイエットしてきたのに、今ここで努力を無にするわけには……ああ…… なんであたしはダイエットなんかを…… 「どうしたの、食べないの? ほらほら、美味しそうだよぉ〜〜」 「あっ…あう……」  静香さんたち三人はそれぞれお菓子をついばみ始めたのに、小さな呻き声を上げながら手をつけようとしない あたしの前に一本のポッチーが差し出される。  ………ゴクッ  ああぁ……甘いチョコレートの匂いが微かに届いてくる…………一本…一本だけならいいよね…… 「ほれほれ〜〜、右〜〜、左〜〜、上〜〜、下〜〜」 「あうぅぅぅ〜〜〜……」  指揮者のタクトのようにあたしの眼前をポッチーの先が視界の端から端へと移動していく。余りの食欲に理性 さえ崩壊し始めたあたしは釣られた魚のように黒いチョコレートにコーティングされたポッチーの先端にふらふ らと吸い寄せられていく。 「そう言う事をしちゃダメだよ。相原さん、ほんとに苦しそうにしてるんだから」 「でもさぁ、この飢え様って尋常じゃないよね。ダイエットでもしてるのかな?」  うっ…ダ…ダイエット……そうよ…ここで我慢しないと……あたしは…やせる事が…… 「ぐっ…ギギギギッ……」 「おお、歯を食いしばって耐えてる! 偉い偉い。はい、ご褒美に一本上げるね」 「あ…ありがと……」  パクッ  …………あれ? この口の中に広がる甘い感覚はなんなのでしょうか……  ポリポリポリポリ、ゴックン 「………もしかして今のってポッチー!?」 「大正解♪ 次はポテチ行ってみよう!」  あ……やっちゃった……とうとうあたしは落ちるところまで落ちちゃったのね……  舌の上で踊るチョコレートの程よい甘さの名残……明日香からチョコレートなどの砂糖の多いものは厳禁と言 われ、ダイエットを開始してからずっと絶ち切っていただけに、久しぶりのほろ苦い甘味に口からお腹の中まで が喜んでいるけども、それはあたしがダイエットに失敗した事を意味していた。 「蛍ちゃん! 相原さん、泣いてるじゃない! きっと食べないのは色々と訳があったんだよ。それをそんな風 に弄んじゃダメ」 「いいジャンいいジャン、ダイエットなんかまた明日から頑張ればいいのよ。だから今日は、はい、もう一本ど うぞ♪」 「ううう……ダイエットが…失敗……ポリポリポリ……」  食べちゃダメだと分かってはいるんだけど、口元に差し出されると条件反射的に口を開いてしまう。一度破っ た我慢はこうまで脆くなるのかと涙しながらも、しっかりとポッチーを噛み砕いて飲み込んでしまう。 「蛍…いいかげんにして」  ビクッ  それは小さな声だった。  だけど、感情のこもらない声で静香さんがそう口にしただけで、あたしたち三人は背中に走り抜けた震えに居 住まいを正し、口をつぐんでしまった。 「ご…ごめんなさい。あの…せっかく楽しみにしてたのに、私たちが騒ぎすぎちゃったみたいで……」 「あたしも……静香さんの身代わりに来たって言うのに、その事忘れてて……でも、まだ時間大丈夫だよね。今 からでも街に出てきて」  急に暗くなった雰囲気を少しでも紛らわせようと、事の原因のあたしはなるべく明るく振舞い、静香さんと服 を交換するために立ち上がろうとする。でも―― 「……いいの…座ってて」 「え? でも……」 「いいの」  静香さんにスカートの裾を掴まれ、首を捻りながら再び座りなおす。  どうしたんだろ? 静香さん、外に出るの楽しみにしてたのに……  あたしと入れ替わりたくないほど怒っているのかと思ったけど、声はさっきとほとんど変わらないぐらいの大 きさなのに、怖さはほとんど感じられず、どこか照れている様にさえ受け取れる。  まさか、あたしに会いたいから呼び出した……なんてことは無いわよね。自意識過剰かな、あはは♪ 「それで、何でお菓子を食べて泣いてたの?」 「え? ああ、それは……(かくかくしかじか)……と言う訳で、ダイエットしてるんですよ」 「でも、全然太ってるようには見えないんですけど……」 「重いのはその胸よ! 体重増えてもいいから、その半分ぐらいあたしに頂戴!」  無理ですってば。それができるならあたしだって……半分は取り過ぎかな?  命がどうのと言う話はせずに男に戻れなくなると言うニュアンスで話すと、やっぱり同じ女の子どうし――ち ょっと問題発言かもしれないけど――親身になって相談に乗ってくれた。 「う〜ん……あたしも大丈夫だとは思うんだけどね。何か簡単なダイエットがあればなぁ……」  お菓子を目の前にしても食べる事ができない、話をしているうちに幾分欲求も収まったけど、それでも「食べ たいなぁ…」と思ってしまう。 「大丈夫」  私を食べてと言わんばかりに甘い匂いを漂わせるお菓子を前にして溜息をついていたあたしの横から、その声 は上がった。あたしが顔を向けると、いつもと変わらない無表情のようで、どこかちょっとだけしっかりしてい るように見える顔をした静香さんが真っ直ぐあたしの顔を覗きこんできた。 「食べた分だけ運動すればいい。そうすれば太らない」 「でも…あたし運動苦手で。走ってもすぐにばてちゃうから」 「私、いいところを知ってる」 「いいところ?」  あたしが聞き返すと、静香さんはコクリと肯いた。  ポツリポツリとしか喋らない静香さんだけど、それは必要な事しか喋らないとも考えられる。  それに…静香さんが自分から協力を申し出てくれるなんて……これを断る手は無いわよね。 「うん。静香さんがそう言うんだったら、あたし頑張ってみるね」


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