エピローグ


「ん……」
 障子越しに差し込む朝日と、それに増して明るい蛍光灯の光が目覚めた私の目を射る。
「あ、先輩おはようございます」
「ごめん、理緒。起こしちゃった?」

 ここは――

「朝食までまだあるし寝ててもいいのに」
 ――そう、某県にある温泉旅館の私たちに割り振られた一部屋。私達は職場の慰安旅行でここを訪れ、温泉につかり、宴会場で……
「……私は――」
「なに?寝ぼけてるの理緒?」
「だいぶ飲んでましたからねー」
 そう、宴会の余興のマジックショーで……
「そうね、あのマジシャンの人に助手を頼まれたときは大丈夫かと思ったわよ」

 ――ッ!!

 私は弾かれたように身を起こす。
「そのマジックショーって!?」
「覚えてないんですか?」
「まぁ、内容も特に珍しいものじゃなかったしね」
「わ、私は……ねぇ真由香、私、その、ステージで……」
「あ、先輩ですか?先輩アシスタントに指名されてステージに上がったんですけど――」
 そう、私はあの奇術師に誘われるままステージに上がり、そこで
「――だいぶ酔ってたみたいで一枚引いてくれってトランプを何枚も一緒に引いちゃって……マジシャンの人困ってましたよ」
 予想外の後輩の答え。

「あれはねぇ、見てるこっちが恥ずかしかったわよ、もう」
「その後はえ〜っと……」
「前の方に座ってた営業の本間さん、だったかな、が上がって代わってくれたからいいけど」
「あーあの人そういう名前だったんだぁ」
「何?真由香あんな感じがタイプ?」
「ちーがーいーまーすー!!もー、綾乃先輩はすぐそういう事……」
「あはは、ごめん真由香、冗談よ」
 昨夜の出来事などなかったかのように和やかに笑う二人。
「え、じゃあ……私酔い潰れて……?」
「あの後の先輩ですか?ちゃんとしてましたよ?」
「その後は何もなかった……のよね?」
「ええ、席に戻ってきて私たちと一緒に手品見て」
「終わった辺りで部屋に戻って」

 何も無かった?本当に?

「ねえ理緒?本当に大丈夫?」
「んー……寝るまでは大丈夫そうだったんですけどねー」
 腑に落ちないまま曖昧に会話を終えると同僚に促されるまま身支度を整え、朝食を用意してある広間――昨夜のあの場所だ――に向かった。彩乃曰く、マジックショーが終わった後も広間に残って飲み続けていた割には早々と起き出し既に朝食に手を付けていた上司に挨拶を済ませ、用意された席に着く。
「んー、いかにも、って感じですねー」
「真由香、贅沢言わないの」

 上司以外にも既に幾人かが食事を始めていた。私達は早くも遅くもなく、といったところらしい。その幾人かもまるで昨夜のショーが平凡なものであったかのように食事を進めている。
 そう、あれは夢。旅の疲れが見せた夢。

 慰安旅行参加者が出揃い、広間がほぼ埋まった辺りで朝食を終えた私達は同僚に促されるまま部屋に戻り、荷物をまとめ始めた。
「一泊と言ってもかさばるものねぇ」
 同僚の問いかけに曖昧に答え荷物をまとめ、そして時間通りにロビーに集まりバスに乗り込む。
「また数時間の旅ね」
「ま、後は帰るだけですから」
 このままバスに揺られていれば何事も無く旅は終わる、それを願い私はバスの揺れに身をゆだねた。

 程無くして私は何度目かの居眠りから目を覚ます。
「先輩、駅到着って何時でしたっけ」
 臨席の後輩の問いに答えようとコートのポケットを探る、確か携帯電話に旅行のスケジュールがメモしてあったはずだ。ポケットの中で手が何かに触れる、取り出してみるとそれは蝶ネクタイだった。
 昨夜、私の襟元を飾った、黒の蝶ネクタイとあまりにも酷似したそれに確かに見覚えがある。 
 あれはもしかして本当に……。


<完>