第二話


「おぉおおおおおおお―――ッ!!」
 一つとなったざわめきが広間を揺らす。
「すっげえーッ」
「どうやったんだ!?」
 遅れて万雷の拍手。
 そこには、縛り上げて無抵抗にした女性の服を剥ぎ取る卑劣漢への批難はなく、彼のマジックへの純粋な賛辞に満ちていた。

 あ……
 私は浴衣を剥ぎ取られたときに反射的に取った、胸と、そして股間を手で隠した中途半端な姿勢で身を縮ませる。
 素肌のはずの浴衣の下に身に付けていたのは光沢のある黒のレオタード。しかしそれは腰骨に届かんばかりの鋭い切れ込みに加え、肩紐もない上に胸元も切れ込み、とても運動に耐えるデザインとは言い難い。 さらに足元へ目をやれば大胆に晒した脚は艶やかなストッキングに覆われ、その下はレオタードと同色の黒いヒール。
 
「わぁ……先輩、バニーガールですよ、バニーガール」
 興奮の面持ちで感想を口にする真由香。
「理緒ってあれで結構スタイルいいのよねー」

 そう、私はバニーガール姿でステージに立ち尽くしていた。

「如何でしたでしょうか。私、マジシャン黒崎による変わり身の妙技」
 何度目かの優雅な一礼に観客たちは拍手と歓声で応える。礼の姿勢から立ち直ると足元の浴衣と帯、ロープを手早く拾って一纏めにし、舞台袖へ放る。
「さて、まだまだマジックショーは始まったばかり。皆様にはさらなる奇術の深奥を御覧頂きたいと思います!!」
「その前に、今夜のアシスタントをお勤めいただく畑山理緒嬢の、再度のお披露目と参りましょう」
 そう宣言すると、奇術師は私の中途半端に胸元を隠すでなく持ち上げた手を取り、ダンスに誘うかのように引き寄せる。
「っと……」
 急に手を引かれ――いつの間にか履いていた――黒いハイヒールの足はたたらを踏む。
「おっと」
 倒れ込むような身体の勢いを腕を上へ引くで上手く、それこそ手品じみた上手さでいなし、私はくるりと反転し舞台に背を向けた。
「おぉ〜〜」
「理緒ってダンスの心得もあったのね」
「今のスピン凄かったですねー」

 腕を取られたまま、私は客に無防備な背中を晒していた。自分で見ることの出来ない背中だが、それでも布の触れる感触や、肌を撫でる空気、照り付ける壇上のライトの熱、そしてなによりレオタードのラインをなぞる無数の視線が私の衣装が際どいデザインであることを望まずとも教えてくれる。
 肩はもちろん肩甲骨の辺りまで大胆に切り取られた背中。
「畑山さん色白いな……」
 そう、今年は遂に泳ぎに行けなかった、日焼けする間もなかった夏……
 そくり
 ぼんやりとした追想は視線の、ぞろりと撫でられるような感触に打ち破られる。
 
 背を撫でる視線が腰裏の僅かな面積を超えればそこはすでに臀部。緩やかな隆起の先には兎の尾を模した飾り。
「おぉー尻尾もちゃんと付いてるな」
「やっぱこれがないとなー」
 一際注目を集められた視線を意識すると飾りに過ぎない尻尾の根元のあたりにありえないはず掻痒感が生まれる。一度芽生えた感覚は付け根の裏側、腰の内側を溢れ出し、背中を這い登り、また脚を流れ落ちてゆく。
「ふぅっ……んんっ……」
 それは背を波打たせ、脚を震わせ、腰をくねらせた。
 身体の中で渦巻いた熱がレオタードとストッキングの重なった辺りで逃げ場をなくして燻っている。
「ん、何だか様子が……」
「にしてもいい尻っすねー」
「あ、あぁ……そうだな」
「精々スカート越しにしか拝めないすからねー、いや眼福々々」
 言うまでもなく大胆に切れ込んでいるヒップラインは、身じろぎする度に実際以上に喰い込んでいくような錯覚を覚える。
 直したい、手で触れてお尻のとこを直さなきゃ。――でも今はダメだ。こうして観客に背を向けてる今は。

 腰の裏にわだかまる感覚を押さえ込み、漏れそうな声を噛み殺してなんとか呼吸を整えると、目の前にはあの変わらない微笑。
「はいっ!」
 再び手を――身体を駆けめぐるに掻痒に耐えかねて握り締めていた片手を――取り、今度はほぼ垂直に腕を差し上げる。
 取った手首を返し、捻るような動作。それだけで、手首から肘、肘から肩、肩から背、背から腰、腰から膝、膝から足へと私の身体は回り、再び観客に向き直った。
「あ、また回った」
「まるでワルツね」
 手を高々と差し上げた、否、差し上げられた姿勢で再び歓声を浴びるが、腕のみならず、身体全体で伸び上がった姿勢ではそれへの返礼もままならない。腕を引かれた勢いで爪先立ちになったものの、片手を取られただけでそのままの姿勢を保持させられている。
「おっと、忘れていました」
 彼は心得のない私を、しかも意に沿わぬままコントロールし、曲がりなりにもダンスを成立させている離れ技の最中とは思えないほどの平静な声で観客に告げた。
「失礼、これがなければ――」
 捻り上げられた手首に何かが触れる。
 パチン
「あ、そっか」
「おお、これこれ……で何てったっけこれ?」
 巻きついた何かを恐る恐る見上げるとそこには、純白のカフスがはまっていた。
「――バニーとは言えませんね。さて、もう一つ」
 カフスをはめられた手を反対側へ引くと、否応なく私の身体は回り
 パチン
 はまってない側の手を取られると同時にカフスを付けられた。
「これで立派なバニーガールですねっ」
「いやーまだね、何か足りなくない?」 

 ……っ!?
 さらに私の身体が回る。今度はその場での回転でなく、奇術師に手を引かれるままステージ上で円を描くようにステップを踏む。否、バランスを崩しても倒れまいと足を運ぶ、その動きが偶々、私に言わせれば偶々ダンスのステップになっているだけに過ぎない。
 だが、観客の目には私が心得が無い故のやや不器用なダンスに写っている様だ。
「おぉ〜〜っ」
「上手いもんだなぁ」
 何も知らないからこその賛辞。とは言え、運動そのものの意外な激しさに加え、予想外の動きに振り回され大幅に体力を消耗した私の脚はそろそろ限界を迎えていた。腕を引かれるに任せようと身体を泳がせた次の瞬間逆方向へと急激に引き戻される。
 「あっ……」
 その変化に耐えられず私は足をもつれさせ、後ろに倒れこむ。気の遠くなるような感じ、失われる平衡感覚。空気の流れと床が視界の外から迫る感覚。床に付こうとした片手は押さえられ、もう片方の手は空を切る。
「おぉーーっ」
 拍手とどよめきの中、床に叩きつけられる筈の私の身体は辛うじて床から離れた位置に静止していた。
「わぁ……」
「大したものね、あそこまで踊れるなんて知らなかったわ」
 床に片膝を付いた奇術師。その立てた膝の上で身体を伸ばしている私。互いの腕は支え合うように腰にまわり、それぞれの開いた手は彼の胸の前で握り合わされていた。
 形だけを見るなら華麗なダンスのフィニッシュ。
「いやぁ彼女もやるもんだ」
「俺もダンス教室通えばあんな子と……」
「いや無理だろ」
「ん、なんだあれ?」
 ん……?
 不安定な姿勢で舞台下に目線を向けていると視界の端で何かが動いた。
「なんか持ってるな、紐か?」
 首を巡らすとそれは私の背に回された奇術師の手に握られた黒い紐のような何か。
「な、何……?」
 訝る私に、衣装の残りですよ、とにこやかな答えと共に、その黒が迫る。抵抗しようにも片腕は彼の腰の裏、もう片方は彼の手の中。軽く握られただけの手は、しかし振り解くことはおろかこちらに引き寄せることすら適わない。反射的に顎を引く抵抗も虚しく奇術師は首の下側から滑り込せた黒い紐状の何かを巻き付けると、そのまま片手で器用に首の後ろで留める。
 私は首に巻かれたそれを確かめようと顎を引き、自らの喉元に目を凝らそうとする
 だが奇術師が私を支える膝をずらし、それだけで私の身体は重力に引かれて後ろに仰け反る。
 倒れそうな上体を片腕、私の首に伸ばしていた手で支らえれ、私はまるで演技を終えたダンサーのように身体をピンと伸ばしていた。

「あ、蝶ネクタイ」
「そうか、何か足りないと思ってたんだ」
 重力に引かれるまま顎を上げる形でつい今しがた付けられた蝶ネクタイを晒す。意にそぐわない形であるにも関わらず、私はそれがまるでダンスの振り付けの一部であるように、新たな装飾品を誇示している。
「これで残りは後一つ」
「何だ?」
「大事なのがあるだろう?」
 くうっ……
 いい加減私が傾いた姿勢に耐え切れなくなったのを察したのか、奇術師は私ごと立ち上がった。腰を抱え手を握ったまま、人一人抱えた重さを感じさせることなく。
 私が自分の足で立ったのを確認するとあっさり手を離し、ダンスのような優雅な動きで私の後方へ動くのが横目に見える。
「先輩大丈夫かな」
「ちょっとかじったぐらいじゃ辛い姿勢だったみたいね」
 無理な姿勢のせいで上った血が再び下がって行く朦朧とした僅かな時間はしかし、私の後ろに回り込み頭に耳飾りを被せるには十分すぎた。
「あっそうだ、耳だ!」
「おぉ〜」
「あれ?今出すとこ見てた?」
「これで立派なバニーガール、だな」

「さて皆さん。こうして我が美貌のアシスタントである畑山理緒さんに相応しい衣装を御用意できました。お似合いと思われた方は是非、盛大な拍手をお願いいたします」
 誰一人異を唱える者など無いように渦を巻く拍手を聞きながら、私は平衡感覚と共に現実感が遠のく中ステージに立ち尽くしていた。


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