第一話


「あ……」
おぉ〜っと広間にどよめきが起こり、その場の大部分の視線が私に向かう。
「やりましたね先輩っ」
「ほら、理緒、当たったんだから、ね?」
あまり乗り気はしないが、さりとて頑なに拒んで余興を台無しにするほどでもない。そう判断して私は落ちてきたバラを拾うと羽織っていた半纏を預け立ち上がる。
「がんばってー」
「応援してるわよー」
同僚の無責任な応援とそれに倍する他の歓声に苦笑で答え、私はステージに上る。

 壇上で私を迎えたマジシャンは「お越し願い大変有り難うございます」と優雅に一礼した。
「えぇーこのような浴衣美人にショーをお手伝い頂けるなど、マジシャン冥利に尽きます、宜しければお名前を伺って宜しいですか?」
 私が答えると。
「それではお手伝い頂ける畑中理緒さんに盛大な拍手を!」
 促された拍手に混じり調子はずれな歓声も飛ぶ「畑中〜っがんばれよ〜」
 離れた席に座っていた上司に曖昧な笑顔を向け、マジシャンに向き直る。
「それで何をすれば……」
「ええ、それではこのハサミを持ってください」
 私にハサミを手渡すと彼は袖口からロープを取り出した。見知った顔が壇上にあるのに興味をそそられたか、先程より大きくどよめく。
 スルスルと袖から引き出されるロープを手繰り終えるとそのロープを大きな仕草で束ね、観客に向けて差し出すと、また拍手。ステージへの真剣な目線も増えてるようだ、広間からの視線に晒される
私には実際以上に感じられたとしても。
「はい、それでは理緒さん。どこか一箇所、お好きなところを切ってください」
 私は促されるま束ねられたロープのうち、一箇所を手に持ったハサミで切った。マジシャンは切った所から垂れ下がるロープを再び手繰って丸め「ウンッ」っと目を閉じて念を込めた。観客の視線が手元で丸められたロープに集中する。そして……
「はいっ!!」
 彼がロープの両端をそれぞれの手に持ち左右に広げると、途中で切れたはずのロープは何事もなかったの用に両の手の間に伸びている。それを見た観客はこれまでで一番の喝采を浴びせた。
「へぇ……」
 いかなる方法でロープを再び繋いだのか、間近で見ていた私にも見当が付かない、切られた部分を隠したか或いは……何れにせよ奇術の心得がない私にはそれを知る術はない。拍手を送る同僚を横目で見ながら私も軽く握手を送る。

「ありがとうございました」
 見事奇術を成功させたマジシャンは優雅に一礼する。
「さて、先程お見せしたのはロープマジックのほんの触り、これより皆様にはロープマジックの深奥、"ヒンズーロープ"を御覧頂きます。理緒さんも引き続きお手伝い頂けますね?」
 間近でマジックを目撃したことにより、私自身の中にも更なるショーへの興味が沸いてきた。
「ええ、こちらこそよろしくお願いします」
 続きを了承すると、マジシャンは満足げに頷き、私にステージの中央に立つよう促すとさっきのロープを束ねて渡す。ロープを持って客席を向く私の横で彼はさっと腕を振ると色鮮やかな赤い布が翻る。袖か、懐か、もしくは……今回も彼以外にそれを知ることは出来ない。ともあれ取り出した赤い布を客に見せるように広げ、裏返し、ただの布であることを観客に示す。種も仕掛けもございません、マジックショーでよく見られる光景。
「この赤い布を理緒さんの持ったロープに掛けまして――」
「どうなるのかな……?」
「消える?」
「いや、バラバラになるとか?」
 静まり返り手元に注目する観客たち……
「――1.2.3.ハイッ!」
 掛け声とともにマジシャンは勢い良く布を取り去る、それと同時にロープの先端が手元から落ちて床に落ち、もう片方は……
「おぉ〜〜」
「え、なに今の?」
「すげぇな、いつの間にあんな……」
 ……私の両手首を縛り上げていた。

「な、な……」
 あまりの出来事に色を失い、とっさに言葉が出ない。
「なにこれ」の一言が精一杯だった。なんで?持ってるだけのロープが勝手に?しかも布を取る瞬間まで気付かれずに手を縛った?
「大丈夫ですよ、何も危険なことはありません」
再度の礼で歓声に答え終えたマジシャンが目配せする。そう、あくまでこれはショーの一部、いかなる方法で私の手を縛ったとしてもそれ以上の危害はない。軽く興奮したおかげでさらに回った酔いがそうさせたのか、無根拠な思い込みで私は平静を取り戻す。
 助手が落ち着きを取り戻したことを確認したマジシャンは
「さてここからが"ヒンズーロープ"マジックの本番、ロープに宿る魔力、とくと御覧ください!」
そう高らかに宣言すると床に垂れ下がるロープの端を指差す。
「なんだ?」
「なにも起こらないぞ?」
「ん、動いた」
 もぞり、と確かにロープが動いた、驚きに身をこわばらせた私の足元でマジシャンに指差されるまま左右に揺れる。断じて私の手によるものではない、反射的に結ばれた両手を胸元に引き寄せる。
「さぁ、ロープよ」
 床を指していた指が徐々に持ち上がる、それに合わせてロープの先端は浮き上がり……
「おぉ……」
「どうなってるんだ?」
 ついには私の手元から垂直に立ち上がった。

 いかなるトリックによるものか、まるで棒のように垂直に屹立したロープを撫で、マジシャンは満足げに頷くと、観客の前で再び指を立てて見せる。さらなるショーの続きへの期待に大きなどよめきが上がる。
 これ以上ロープをどうするつもりなの?私は目の前に立つロープを凝視することしか出来ない。
やがて彼はゆっくりと腕を伸ばし、天井を指差した。指差されるまま一斉に上を見上げる観客。そして立ち上がったロープは指差されるまま天を目指す、私の腕を縛り上げたまま。
「え、やだっやめてっ」
 手を体から離される不安に耐えかねて引き戻そうとしても思いのほか力強く私の手を引き上げる。痛みを与えるほどの強さはなく、しかし抵抗を許さないほど強く。
 程無くして私はステージの上、床に足は付くものの天井から腕を吊るされた格好になった。不自然で、何より無防備な姿を晒すのは顔見知りとは言え、いや、顔見知りだからこそ抵抗がある。抗議しようとマジシャンを見据えても彼は平然と、前座のありきたりなマジックを披露していたときと同じ微笑を浮かべていた。
「ちょっと、やだっ!いい加減に解いてよっ!」
 僅かに肘を曲げるだけの余裕を持って吊り下げられた腕に力を込め、ロープから逃れようとする。手首を擦り合わせ結び目を緩めようと、或いはロープを引き降ろそうと体重を掛けて腕を引き下げようとする。
 しかしロープは手を締め上げるほどでもなく、さりとて緩む気配は見せず、頑として私を戒め続けた。
 そして私の抵抗は、マジシャンの耳打ち一つであっけなく幕を閉じる。
「浴衣、裾。動くと、ね?見えちゃいますよ?」
 拙い。着慣れない浴衣を着て体を捩ったのが悪かったのか、帯が、合わせた襟元や裾が僅かに緩みを見せ始めていた。
「なんか、いいなこれ」
「うわ……先輩なんかえっち」
「理緒、じっとしてた方がいいわよー」
 好き勝手言ってくれて……
「大丈夫ですよ」この期に及んでまだ平然とした笑顔を崩さずに囁く奇術師。
「着替えも用意してあります」
 着替え……?
「なぁ……もしかして畑中さんノーブラ?」
「そうじゃね?浴衣だし、つーことはもうちょいで……」
 乱れた浴衣が生み出したざわめきの中マジシャンは再び朗々と観客に語り掛ける。すでに私と同様彼に捕らわれた観客たちは静まり返り固唾を呑んで次の言葉を待った。
「さて皆さん!ここまでお手伝い頂いた理緒さんですが、動きにくい浴衣姿では少々助手をお勤め頂くには不向きの様子――」
 あなたが招いた結果に何を……この男のあくまでショーを優先する身勝手な言い分に怒りを覚える。
「――そこで、私の方からこのマジックショーに、そして何より理緒さんに相応しい衣装をご用意させて頂きます」
「どんなだろ?」
「えー着替えちゃうのかー」
 ……な、何を言ってるのか、大体この姿勢でどうやって……着替えるにしてもこの姿じゃ無理だ、なんにせよロープは解いてもらわないと。そんな私の逡巡を無視して彼は続ける。
「もちろん袖で着替えて出直しなんて無粋は申しません、このマジシャン黒崎の早業、とくと御覧あれ!」
そう言うと彼は私の後ろに回りこみ、思ったより大柄な体で私を軽く抱きかかえる。
 「やっ……」身を強張らせる私に 「大丈夫ですよ」と耳打ち。何が大丈夫なものか、平然とした挙動で片腕を放し、ロープの張りを確かめ、そして……
「オッ?」
「おぉ……」
ロープを確かめ終えたマジシャンは両の手で袖から出て向き出しになった腕を、触れるか触れないかの距離を保って撫ぜ降ろす。
「え、いいんですかこれっ」
「ふふ……理緒ってばいい表情ね」
 「んッ……」肌を撫でられゾクリとする身体を、声を何とか押さえ込む。軽く触れる手、しかしそこには観客に視線が乗り、或いは軌跡をトレスすることで必要以上に意識させられる。縛られて、乱れた浴衣の無防備な姿勢で、身体を撫でられる。
 腕から肩へ、そして脇腹へ、そして……
「ふぅっ……」
注視する観客とざわめきはひとかたまりとなり、むしろ、衣擦れの音と何より自分の心音に打ち消されて個々の意味を失う。
「……っ」
「いいなぁアレ」
「触り放題かよ」
「ねぇ彩乃さん、もしかして……」
「えぇ、だいぶゾクゾク来てるみたいね真由香」
 そして、マジシャンの手は帯の結び目に到達した。
 肩越しに私の様子を眺めていたマジシャンは手に取った帯の両端を誇示するように摘み上げ、観客に向き直り告げる。
「それでは1.――」
 や、
「――2.」
 やめ
「――3.
 嫌ぁ――――ッ!!
「ハイッ!!」
 瞬間。
 ロープが解け、
 「おおっ!」
 帯が解かれ、
 「ちょっ……マジか!?」
 腕が重力に引かれるままに落ち、
 「えぇ〜〜〜っ!」
 脱力した腕が垂れ下がり、
 「あらら……」
 その腕を滑るように浴衣が引き降ろされる、

 そして、私が身に付けていた、ロープと、帯と、浴衣がふわりと床に落ちた。


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